神社名 | 中臣崇健神社 |
よみ | なかとみたかたけじんじゃ |
住所 | 鳥取市古郡家161 |
祭神 | 大物主命 |
祭祀 | 例祭4月19日 秋祭10月19日 例祭には、子供榊が氏子地内を廻る。湯立神事。 |
旧社格 | |
各種指定 | |
その他 | 境内面積 3,550㎡ 集落の西寄りに鎮座。御神木は、マツ(幹周3m)であったが、枯れたため株部分を残し、屋根をかけて保存している。 |
由緒
『延喜式』(927年)には「邑美郡一座小 中臣崇健神社」とある。
近世は岡森天王また幡刺天王と称した。
古くより本殿を設けず、林中に築かれた石玉垣を神座としている。
『因幡誌』に絵図も記載され「岡森天王と称す。其祭る所神廟なし。…郷民伝へて云、此神の形甚高大なり、神託に我が形林梢と等し尋常の小祠に居る事を得ず、社宇を造るべからずと、因て社無し」と記し、神託の高丈は「崇健」に通じるとして、当社を式内社に比定している。
更に当社が古代の三輪(美和)郷内にあり、無社であることから大和国大三輪(大神神社)との関わりを示唆している。
境内末社もすべて石造りで、古い形のまま残っている。
陽成天皇元慶元年(877)9月の大嘗祭に班幣に預かったと伝える。
承安元年(1171)、源頼政が当社を信仰し、陶器製釣燈籠を献じたとの伝承がある。
承安元年(1171)、源頼政が当社を信仰し、陶器製釣燈籠を献じたとの伝承がある。