神社名 | 禰宜谷神社 |
よみ | ねぎだにじんじゃ |
住所 | 鳥取市祢宜谷227 |
祭神 | 速須佐之男命 |
祭祀 | 例祭3月9日 例祭にはお釜神事がある。 |
旧社格 | |
各種指定 | |
その他 | 境内面積 1,188㎡ 集落の南方山麓に東面して鎮座。社叢は、シイ・ウラジロガシの多い照葉樹林で構成される。 |
由緒
創立年代は不詳。往古より武王大明神と称した。
元禄14年(1701)、本殿を再建。
寛政6年(1794)、鳥居建立。
安政2年(1855)、社殿再建。
明治元年(1868)6月、祢宜社と改称し、同7年3月祢宜谷神社と改称した。禰宜谷地区の氏神である。
弘化3年(1864)、神社の上手側の山が崩れ、禰宜谷村が被災し、村人は氏神様を憚って神社の下手側に移転したという。当村は意上奴神社に奉職する禰宜が居住したことから禰宜谷村と呼称されるようになったと伝承されている。その屋敷跡を地区の人々は奥家(おくね)屋敷と呼んでいる。
江戸時代より大正時代まで21枚の棟札が現存する。
弘化3年(1864)、神社の上手側の山が崩れ、禰宜谷村が被災し、村人は氏神様を憚って神社の下手側に移転したという。当村は意上奴神社に奉職する禰宜が居住したことから禰宜谷村と呼称されるようになったと伝承されている。その屋敷跡を地区の人々は奥家(おくね)屋敷と呼んでいる。
江戸時代より大正時代まで21枚の棟札が現存する。