神社名 | 倭文神社 |
よみ | しとりじんじゃ |
住所 | 鳥取市倭文548-1 |
祭神 | 武葉槌神 大己貴神 経津主神 武甕槌神 |
祭祀 | 例祭10月9日 春祭(5月上旬) 夏祭(7月中旬) |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | |
その他 | 本殿 大正8年建立 境内神社 風宮 社祖霊社 境内面積 2,469㎡ 集落の西に接する山の中腹に北東に面して鎮座。 石段参道(約100m)の左右の社叢は森厳。 |
由緒
勧請年代は不明だが、倭文部がその祖神を祀ったものと伝えられる。
『延喜式』神名帳(927) に記載されている。中世以降は七躰大明神と称する産土神である。『因幡誌』に絵図が掲載されている。
天正年間(1573~92)に玉津城主武田高信が三尺社を建立。
慶長年間(1596~1615)に鹿野城主亀井茲矩が宝刀を奉納。
さらに寛永九年(1632)、藩主池田光仲が社領1石3斗1升7合寄進する。また鳥取城南西(坤)の方位の守護神として崇敬された。
明和元年(1764)の遷宮には大庄屋が郡中を代表して米俵を奉納。文化7年(1810)には郡奉行が銀100匁を奉納している。
また、節分祭には広く近郷からの参詣者が集まる等、昭和初期まで崇敬者は因幡一円に及んだ。
明治初年に倭文神社と改称。
大正8年に本殿、幣殿、拝殿、社務所を改築した。
境内に婦人血の道の霊薬と伝えられる「倭文の宿禰水」が湧いていた。