神社名 | 八幡宮 |
よみ | はちまんぐう |
住所 | 鳥取市古海41 |
祭神 | 息長帯日賣尊 品陀和氣尊 武内宿禰神 |
祭祀 | 例祭4月15日(近い日曜日) 秋祭旧8月15日 麒麟獅子舞奉納 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | 社叢(ケヤキ)が鳥取市保存樹木に指定(昭和53年) |
その他 | 本殿 慶応元年(1865)改築 宝物等 「古鏡」「金幣」 境内面積 1,299㎡ 村中の平地に南面して鎮座。 本殿脇に樹齢約450年胸高幹周5.4mのケヤキのほか、11本のケヤキ・ナギの樹林がある。 |
由緒
当社縁起書によると、大永年間(1521~28)因幡国主山名氏の勧請によって字山ヶ鼻八幡山八幡谷に社殿を建立、社領八百石、社名を八幡宮と称した。
天正9年(1581)吉川経家鳥取在城の時、殊に当社を崇敬し八幡宮に祭具を奉献している。
同年6月、羽柴秀吉が鳥取城攻めに際して八幡山に陣を敷いたので、神主霧林朝日太夫は神霊を奉じて鳥取 城に入り、さらに岩井郡へ逃れた。この時社殿は兵火にかかり焼失した。
元和3年(1617)、元の御幸祭御旅所であった現社地に社殿を建立し八幡宮神霊を奉遷した。
寛永2年(1625)香西八藏の田2段を八幡宮へ永代寄進した証文が現存する。以来、鳥取藩主池田家の崇敬庇護のもと、氏子崇敬者も社地周辺に集住することとなった。
明治元年(1868)古海社と改称し、同7年古海神社と改めたが、同16年八幡宮の旧称に復した。
祭神が松で目を突かれたという口碑により、神社の境内、氏子内には松を植えない。