神社名 | 松上神社 |
よみ | まつがみじんじゃ |
住所 | 鳥取市松上326 |
祭神 | 國常立尊 |
祭祀 | 例祭5月1日 秋祭10月1日 例祭には、榊、 鉾、神輿、獅子舞の行列がある。 |
旧社格 | 県社 |
各種指定 | サカキ樹林が国天然記念物 (昭和19年) 秀衡杉が鳥取県銘木百選に選ばれる。(平成12年) |
その他 | 本殿 明治4年建立 境内神社 「稲荷神社」 宝物等 「池田藩奉納の備前長船助定」 境内面積 7,332㎡ 集落の南端より約500m上った山中(尾根)に西北に面して鎮座。 参道は石階370段を含む坂道である。 全山自然性豊かな照葉樹林である。御神木は、秀衡杉 (樹齢約800年)。 社伝によると嘉応2年(1170)、鎮守府将軍に任ぜられた藤原秀衡が西国巡回の際、当社に参拝してこの杉を植えたという。 |
由緒
応神天皇16年に、因幡国野坂郷松上村高松山の頂上に勧請したと伝えられている。近世まで松上社また松上大明神あるいは松上大菩薩とも称された。
貞元元年(976)、野坂村千間之助国重長者が講を催し、比叡山の座主を招聘したところ、座主は当社を拝して其の威徳に感じ、叡山から大山咋神を奉遷して配祀し、自らも此処に住んだという。 近傍に散在する衣干岩滑石等の古跡は、 全て座主の修業場と伝わる。
寛和元年(985)、座主の師である慈慧大師が到来、あらためて大日、彌陀、観音の三仏を合祀し、三所大菩薩と称した。本地仏像は、現在は岩坪の成就院に安置されている。
延元3年(1338)4月、大鐘を鋳造する。
天文12年(1543) 8月1日、智頭郡加瀬木村より随神木像を奉納する。
また、安芸国吉川駿河守元春、 毛利右馬頭輝元両公も篤く崇敬し、年々祈願状及び武具等を奉献する。
亀井武蔵守茲矩が当地領有に際し、当社を祈願所として社殿を修復する。
鳥取藩主池田光仲も崇敬篤く、自ら願主となり高松山頂の旧社地より現在地に奉遷。広大な境内を開拓して、 本殿・拝殿・神楽殿・随神門・石鳥居等を建立し、正保元年(1644) 8月21日、遷座祭を斎行している。
明和4年(1767)、池田重寛願主となり本殿を改築する。
天明6年(1786)6月に鎮座1500年祭を斎行。近世の社領高は28石5斗であった。
明治初年に松上神社と改称。
明治5年、郷社に列格。
明治30年、春秋の大祭に池田家より神饌料として金一千匹を奉納。
昭和6年、県社に昇格した。