神社名 | 大原神社 |
よみ | おおはらじんじゃ |
住所 | 倉吉市大原619 |
祭神 | 正哉吾勝勝速日天忍穗耳神 天穂日神 天津彦根神 活津彦根神 熊野樟日神 素盞嗚神 倉稲魂神 天満天神 |
祭祀 | 例祭10月9日 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | 境内東方山腹にある桜の木(樹齢約150年)が、天神川流域で開花が最も早いとされ、平成12年「倉吉市保存樹」に指定。開花の頃が「サツマイモ」の床作りの目安とされ、一名「芋桜」と呼ばれている。 |
その他 | 社紋 丸に蔓柏 主要建物 本殿(大社造変形五尺五寸四方) 幣殿 拝殿 随神門兼参籠所 神輿庫 境内面積 3,236㎡ 竹田川東岸、大原集落の中ほどに南面して鎮座。クスの大木がある。 |
由緒
宝永5年(1708)の棟札に記されている「瑞殿再興記」 には大化3年(647)山城国宇治郷社許波多神社より正哉吾勝勝速日天忍穗耳神を勧請したとある。
明徳2年 (1391)祀職村上尚喬が国司の命により神殿を再建。
同時に四柱の神、天穂日神、天津彦根神、活津彦根神、熊野樟日神を各々別殿に勧請し、本社・摂社あわせ五社となし、五社大明神と称した。
当時は社域の南方の神宮寺の社僧が祭儀を行ったが、大永4年(1524)尼子経久の伯耆侵入で兵火に遭い神宮寺は焼失し、やがて社殿も荒廃した。祀職・村民はこれを憂い、天文年間(1532~55)5社を合併して1社とし、尊厳を保った。
明治初年に、末社の荒神、稲荷、天神三神を合祀して大原神社と改称した。大原地区の氏神である。
明徳(1390)以前は伯耆社とも称し、広く崇敬されており、『伯耆六社みちの記』(竹内自安元禄7年(1694))には「二宮、波波伎神社」を当社として、五社大明神参詣の様子が詳述されている。