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倉吉八幡宮

神社名
倉吉八幡宮
よみ
くらよしはちまんぐう
住所
倉吉市八幡町3591
祭神
応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
祭祀
例祭10月15日 
管粥神事…釜に竹筒を入れて粥を炊き、竹筒の中の粥のつまり具合により、その年の作物ごとの豊凶を占う神事
旧社格
村社
各種指定
「管粥神事」が倉吉市の無形民俗文化財指定
社叢が倉吉市の保存林
その他
社紋 三つ盛亀甲に花菱 
主要建物 本殿(三間社流造向拝唐破風付1丈1尺×7尺 安永年中(1772~)建立) 幣殿 拝殿 神輿庫 随神門 参籠所 社務所 
境内神社 竹内神社 稲荷神社 猿田彦社 荒神社 天神社 金屋子神社 足大耳6社 
境内面積 4,634㎡
明倫地区の南西、正面大鳥居より108の石段を登った八幡山の中腹に南面して社殿がある。
スギ、 モミの大木が林立しシイ、ナギ、イヌマキ、モッコクなど樹種も多い。
御神木は、正面鳥居内東側のカシと参道左右のスギ(幹周3.5m)2本。

由緒

創立年代不詳。
文明18年(1486)、因幡・伯耆の守護職、山名豊明が社殿を造営し、石清水八幡宮を勧請したとする説、小鴨庄の豪族、水谷出羽守が鹿首邑に社殿を造営し、宇佐八幡宮を勧請したとする説、神戸市の生田神社を勧請したとする諸説がある。
旧神社誌には永禄年中(1558~70)毛利元就の臣、伊藤加賀守により再興と記している。古く久米八幡宮と称したが、明治初年生田神社と改称した。
明治26年9月八幡神社と改称。大正2年旧余戸谷村の村社谷田神社(もと大坊天王 素盞嗚尊 宇迦之魂命) を合併した。
平成9年10月倉吉八幡宮と改称する。
現在の本殿は安永年間(1772~81)に建立、拝殿は大正年間の建立である。
現在、明倫地区及び小鴨地区の内生田、丸山、打吹団地の3町の氏神である。
昔、小鴨川の堤防が真夜中に切れる洪水があったが、白馬に乗った八幡様がひづめの音高く走って村人の目をさまし、氏子を救ったという説話が残る。
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