神社名 | 山長神社 |
よみ | やまおさじんじゃ |
住所 | 倉吉市森142 |
祭神 | 句句迺馳神 大山祇命 素盞嗚尊 菅原道真公 大己貴命 伊弉諾命 句句奴志神 |
祭祀 | 例祭4月9日 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | 森(ムクノキ、タブノキ等) が倉吉市保存林に指定(昭和61年) |
その他 | 社紋 丸に違い矢羽 主要建物 本殿(春日造1間四方) 幣殿 拝殿 随神門 境内神社 荒神社 境内面積 3,589㎡ 森部落の上手(西、大河内側)、県道の北側に南面して鎮座。社地は平地で、古木の生い繁る森となっている。ムクノキの巨木(幹周5m余)が2本ある。 |
由緒
北谷村山長の庄11ヵ村の総産土神であり、近世まで山長大明神と称し、聖武天皇の御代に創祀と伝える。
延宝6年(1679)に社殿再建。天明6年(1786)松平相模守領分348社中5社の大社に選定されている。
明治初年まで毎年3月9日、9月9日の両祭日に氏子中より奉幣するを例とした。
明治初年山長神社と改称。大正5年2月、中野の村社中野神社(もと瀬森大明神 瀬織津媛命 日智理神 倉稲魂神)、大河内の大河内神社(もと荒神 山ノ神 素盞嗚尊 大山祇命)、杉野の村社杉野神社(もと小森大明神 句句奴志神)、長谷の長谷神社(伊弉諾命)、忰谷の村社總谷神社(大己貴命)、沢谷の北野神社(もと天神宮 菅原道真公)を合併した。戦後、中野神社が分離した。現在は森、大河内、汗干の氏神となっている。