神社名 | 楯縫神社 |
よみ | たてぬいじんじゃ |
住所 | 倉吉市上福田182 |
祭神 | 底津少童命 中津少童命 上津少童命 瓊瓊杵命 別雷神 保食神 国狭槌命 |
祭祀 | 例祭4月29日 除蝗祭・大祓6月29日 |
旧社格 | 県社 |
各種指定 | |
その他 | 社紋 丸に揚羽蝶 主要建物 本殿(大社造変形向拝唐破風造6尺8寸×6尺6寸) 幣殿 拝殿 随神門 参籠所 神輿庫 境内神社 熊野神社 三宝荒神社 境内面積 2,832㎡ 集落南方の山腹の一の鳥居より二の鳥居迄115段の石段を登った高台に東面して鎮座。モミの大木 (幹周3.8m)がある。シイ、スギ、モミ、ヒノキ、カシ、イチョウの大木等、社叢は発達し樹種が多い。 |
由緒
創立年代不詳。
当社は旧楯縫郷の総産土神で沖船大明神と称し、海神の故を以て漁業者、船客等に尊敬されていた。
天正年中(1573~92)、南條信正の祈願所となり、元和元年(1615)には、因伯大主池田勝入の祈願により毎年神札献上の儀を仰せつけられ、御紋付幕、提灯及び御神鏡の寄進があり、毎年6月武運長久、五穀成就を祈り神札を池田家に献じた。
元禄6年(1693)社殿再建の棟札がある。明治5年上福田神社と改め、同14年郷名に因んで楯縫神社と改称した。
大正3年5月村社上米積神社(もと加茂大明神 貴舟大明神 別雷神 保食神)、下米積神社(もと村上大明神)、下福田神社(臼本大明神 国狭槌命)を合併し、大正11年7月今在家の村社中峰神社(もと若一位王子 事代主神)を合併したが、戦後、上米積、下米積、今在家(中峰)の各社は分離した。
なお、昭和27年、下福田地区に新設の昭和部落に昭和神社を建立、楯縫神社の分霊を奉斎している。