神社名 | 幸能鶴神社 |
よみ | こうのつるじんじゃ |
住所 | 三朝町大字穴鴨590 |
祭神 | 猿田彦尊 大山祇尊 須佐之男尊 菅原道真公 |
祭祀 | 例祭10月1日 |
旧社格 | 旧河村郡旧村社 |
各種指定 | |
その他 | 社紋 藤に鶴 主要建物 本殿(春日造変形向拝唐破風付7尺2寸四方明治19年建立) 拝殿 社務所 参籠所 随神門 境内面積 4,000㎡ 集落の上手、南方の山裾(幸山)に北面して鎮座。 石階40段。御神木の、スギ(樹齢700年幹周8m)をはじめスギの大木が多い。 |
由緒
創立年代は明らかでないが、建武2年(1335)領主塩谷高貞が屋根葺替を寄進した棟札、寛永10年(1633)4石5斗の寄進状が現存する。延宝8年(1680)に社殿を改築。往古より白鬚大明神(猿田彦命)と称してきたが、明治初年幸山神社と改称し、境内摂社山ノ神(大山祇命尊)と天神山の天満天神(菅原道真公)の2社を合祀した。大正元年10月加谷の村社鶴山神社(もと山ノ神 大山祇命)、 木地山の能谷神社(大山祇尊 須佐之男尊)、栗祖の栗祖神社(もと山ノ神・三宝荒神相殿社 大山祇命 須佐之男尊)の3社を合併して、幸能鶴神社と改称した。維新以前は近郷11ヶ村の大氏神と称し、毎年9月15日例祭には、藩主の許可を得て神幸祭並びに大名行列を行い、宮角力の奉納があった。穴鴨、木地山、加谷地区の氏神である。