神社名 | 蚊屋島神社〈通称大神宮さん〉 |
よみ | かやしまじんじゃ |
住所 | 日吉津村大字日吉津354 |
祭神 | 天照皇大御神 天照高比賣命 豊受姫命 天萬栲幡豊秋津姫命 天手力雄命 月夜見命 級長津彦命 天若彦命 天太玉命 神倭姫命 猿田彦大神 大年神 大己貴命 事代主命 素盞嗚命 金山彦命 |
祭祀 | 例祭10月11日 春祭4月11日 |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | |
その他 | 境内面積 7,980㎡ 日吉津の中央部に社叢があり、センダンの大木をはじめ高木が多い。南面して鎮座。 |
由緒
創立年代不詳。『三代實録』元慶7年(883)12月条に「伯耆国正六位上天照高日女神―略―従五位下」の記述がある。
当社は天照高比賣神を祀ったとする口碑があるが、近世の棟札、裁許状、社領證文等には、日吉津村大神宮、伊勢宮、天照皇大神宮等の名称が用いられており、天照皇大御神を祀ったと思われる。
『伯耆誌』、『旧神社誌』に考証のあるとおり、当社の祭神は昔は天照高日女神(下照比賣)であり、天照の二文字の故に後世天照大御神と変って行ったが、古伝失い難く主祭神二柱としたことが考えられる(二社合祀の説もある)。
往古より蚊屋庄大社として地方の崇敬篤く、29ヶ村の氏子を有した。天文14年(1545)、尼子氏が社領として日吉津浜田を付け、社殿を造営している。
永禄10年(1567)の文書は尾高城主杉原盛重の崇敬の様を記し、天正19年(1591)には吉川氏が社領40石5斗1合を寄付。
中村伯耆守の時にも45石7斗7升4合の社領が寄進され、寛永10年(1633)に藩主池田氏は社領6石8斗3升1合を寄進、その後も寛文8年(1668)に5石余、宝暦5年(1755)に16石余を加増している。
明治初年に地名に因んで蚊屋島神社と改称し(和名抄に蚊屋郷の名がある)、境内摂末社6殿10神(豊受姫命以下の諸神)と日吉津の恵美須(大己貴命事代主命)を合祀した。
大正5年に日吉津村富吉の今村神社(もと荒神素盞鳴命)、今吉の今吉神社(もと金比羅宮 金山彦命 天照皇大御神)を合併、同6年に五千石村福市字秀坂の秀阪神社(もと荒神 素盞鳴命)を合併した。