神社名 | 神崎神社 |
よみ | かんざきじんじゃ |
住所 | 琴浦町大字赤碕210 |
祭神 | 素盞嗚命 |
祭祀 | 例祭7月28日神輿海上渡御及び町内巡幸。海上渡御は8隻の役船、その他多数の供船が大漁旗など満艦飾で巡航する。 |
旧社格 | |
各種指定 | 「本殿、拝殿向拝天井の竜、木鼻の獅子、その他の彫刻」が県有形彫刻(昭和27年)、「本殿」が県有形建造物(昭和27年)。境内施設の「棟札・彫刻の下絵」 が町指定保護文化財(平成2年)「鳥取県民の建物100選」(平成10年) |
その他 | 社紋 蛇の目 主要建物 本殿(入母屋造正面千鳥破風付向拝唐破風付檜皮葺6尺8寸×6尺2寸嘉永6年(1854)建立) 幣殿 拝殿 透塀 手水舎 神輿庫 境内神社 稲荷神社 菅原神社 恵美須神社 境内面積 3,143㎡ 日本海を見晴らす高台、赤碕小学校の東に北西に面して鎮座。シイ、ケヤキの大木がある。 |
由緒
創立年代は不詳。棟札に元禄15年(1702)のものがある。
往古より三宝大荒神と称し、明治初年に神崎神社と改称した。牛馬の守護神として近郷はもとより、岡山、広島、島根の県境の郷まで崇敬が篤かった。
古来、旧暦28日が縁日で、毎月門前市が立った。山陰の桑苗の初値や、牛の競市、ひな荒神(旧2月28日)など、時代の推移と共に市の内容も変遷した。本殿の檜皮葺は戦後も3回の葺き替えを行っている。社殿の周囲一面に施された彫刻は圧巻である。
近世は、赤碕の東の宮と称されていた。氏子はなく崇敬神社である。天正年中、山陰8カ国の守護代尼子氏(義久の代)が毛利氏との戦いに敗れて富田月山城落城(1564)の際、家臣が城郭にあった守護神を笈に負い、この赤碕の里に逃れて現在の社地に小祠を建立したとも伝えられる。