神社名 | 日御﨑神社 |
よみ | ひのみさきじんじゃ |
住所 | 境港市渡町1201 |
祭神 | 大日孁尊 素盞嗚尊 誉田別命 手置帆負命 彦狹知命 木花咲耶姫命 猿田彦命 大穴牟遲命 大山祇命 八衢彦命 八衢姫命 |
祭祀 | 例祭11月15日(近い土曜日) 例祭には、神輿渡御・浦安の舞奉納・子供みこし。 節分祭2月3日 建国祭2月11日 天神祭7月24日 天神祭には、習字・絵画を拝殿に展示。 大祓祭(わくぐりさん)7月31日 大祓祭に書画、水墨画の献燈。 荒神講龍巻神事 毎年12月第1日曜日(上部落の講当の12名が小祠を月毎に持ち回り)、当日は藁を持ち寄って龍を編み、神木の銀杏に天から神様が降りるとして 龍頭を下向きに七廻り半巻き付ける豊作感謝の神事。 |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | 社殿 境港市文化財指定(昭和62年) イチョウ 鳥取県の名木百選(平成9年) |
その他 | 境内神社 豊受宮、天満宮、倭文宮、荒神宮、金刀比羅宮、塞神宮、森岡神社、前大沢荒神宮、弁天龍王宮、八幡社 境内面積 3,060㎡ 御神木は、イチョウ(樹齢500年、幹周5m)。 町内の中央に南西に面して鎮座。境内にはイチョウの巨木2本のほか周囲にシイ・マツなどがある。 |
由緒
社伝によると、文明年間(1469~1487)出雲国日御碕神社の分霊を勧請し、村内に社殿二宇を創立、上社下社と称して崇敬していたが、正徳3年(1713)現在の地に合併奉遷した。
明和5年(1768)、嘉永3年(1850)の社帳には、「日御﨑大明神 祭神大日孁尊 素盞嗚尊」と記されているが、享保8年(1723)、火災により社殿を焼失、社宝、古記録を失う。嘉永5年(1852)に再度類焼の難に遭ったが、嘉永6年(1853)に現在の本殿を建立した。
明治初年に境内末社の祇園(素盞嗚尊)と番匠祖神(手置帆負命彦狹知命)、村内末社 の今宮大明神(大穴牟遲命)、切明山王神(大山祇命)、八幡宮(誉田別命)、浅間大明神(木花咲耶姫命)、幸神(猿田彦命)を合祀して日御﨑大明神と改称した。
大正5年4月森岡の森岡神社(もと荒神 素盞嗚命)・塞神社(もと幸神 八衢彦 八衢姫 猿田彦命)を合併した。
昭和62年の遷座祭の際、拝殿・幣殿・神輿庫を改築した。
嘉永5年の火災の際、それまでの社殿は北面していたが、仏寺と相対し之を憚るとして、日沈宮の故事により西面に改め境内を拡張して再建した。当時の神主門脇重綾は、慶応4年鳥取藩最初の徴士として新政府において神祇少輔をつとめ、明治4年教部大丞となって神社改革に足跡を残した。