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大港神社

神社名
大港神社
よみ
おおみなとじんじゃ
住所
境港市栄町161
祭神
品田和気尊 大帶姫尊 比咩大神 武内宿禰命 龜井能登守安綱公 須佐之男尊 大己貴命 事代主命 清若丸 手島四郎三郎 小磯亦四郎 稲田姫命 脚摩乳命 手摩乳命 大日孁貴命 須佐之男命 倉稲魂命
祭祀
例祭10月10日(秋祭) 
大漁祈願祭3月末日 
春祭4月12日
大祓祭(輪くぐり祭)6月30日
港祭り7月中旬
春祭、港まつり、秋祭に奉納相撲が行われる。
旧社格
郷社
各種指定
手水鉢・石鳥居・長明燈一対 市有形文化財(平成14年)
その他
宝物等 小太刀(備州長船助光作物 永享3年作)
境内神社 北野神社 蛭子神社
境内面積 2,702㎡
弓浜半島の最北部の市街地に位置し、境水道に向けて北面して鎮座。
境内林は、イチョウ・クロマツ・クスノキの中径木で形成される。

由緒

創祀不詳。『境港沿革史』には、源頼朝が勧請し伯耆国八社八幡の一つとしたと伝えられ、建久7年(1196)佐々木義清が幕府の代参として、弓矢・神馬を奉納、承久3年(1221)には後鳥羽院が、又、元弘2年(1332)には後醍醐天皇が参拝されたとも伝えられる。この頃は社殿社領とも宏大であったが、山名氏、尼子氏の戦乱に遭い衰えた。その後尼子氏によって再興したが、永禄(1558~1570)の兵乱で再び荒廃した。
慶安2年(1649)池田氏により復興され、 寛文7年(1667)社領七斗が寄せられた。(藩史)上道、中野、福定、竹内、高松村の産土神として信仰され、寛政年間(1789~1801)以降は、若狭、但馬、石見などの廻船業者の参詣、寄進が相次ぎ、明治初年に正八幡宮の旧称から大港神社に改称された。
大正4年に境の龜井神社(もと新八幡宮 龜井能登守安綱 清若丸 手島四良三郎 小礒亦四郎)を合併。
昭和8年郷社に昇格。昭和27年に 境町字宮ノ西の旧郷社餘子神社(もと餘子三社大明神 稲田姫命 脚摩乳命 手摩乳命)、同末社日御碕大明神(大日霎貴命 素盞嗚命 倉稲魂命)を合併した。
餘子神社(創祀不詳)には明応9年(1500)再建の棟札があったと伝えられるが、昭和20年の戦災により社殿と共に焼失した。 
宗教法人鳥取縣神社廳

〒680-0015
鳥取県鳥取市上町87
TEL.0857-24-7699
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