神社名 | 大港神社 |
よみ | おおみなとじんじゃ |
住所 | |
祭神 | 品田和気尊 大帶姫尊 比咩大神 武内宿禰命 龜井能登守安綱公 須佐之男尊 大己貴命 事代主命 清若丸 手島四郎三郎 小磯亦四郎 稲田姫命 脚摩乳命 手摩乳命 大日孁貴命 須佐之男命 倉稲魂命 |
祭祀 | 例祭10月10日(秋祭) 大漁祈願祭3月末日 春祭4月12日 大祓祭(輪くぐり祭)6月30日 港祭り7月中旬 春祭、港まつり、秋祭に奉納相撲が行われる。 |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | 手水鉢・石鳥居・長明燈一対 市有形文化財(平成14年) |
その他 | 宝物等 小太刀(備州長船助光作物 永享3年作) 境内神社 北野神社 蛭子神社 境内面積 2,702㎡ 弓浜半島の最北部の市街地に位置し、境水道に向けて北面して鎮座。 境内林は、イチョウ・クロマツ・クスノキの中径木で形成される。 |
由緒
創祀不詳。『境港沿革史』には、源頼朝が勧請し伯耆国八社八幡の一つとしたと伝えられ、建久7年(1196)佐々木義清が幕府の代参として、弓矢・神馬を奉納、承久3年(1221)には後鳥羽院が、又、元弘2年(1332)には後醍醐天皇が参拝されたとも伝えられる。この頃は社殿社領とも宏大であったが、山名氏、尼子氏の戦乱に遭い衰えた。その後尼子氏によって再興したが、永禄(1558~1570)の兵乱で再び荒廃した。
慶安2年(1649)池田氏により復興され、 寛文7年(1667)社領七斗が寄せられた。(藩史)上道、中野、福定、竹内、高松村の産土神として信仰され、寛政年間(1789~1801)以降は、若狭、但馬、石見などの廻船業者の参詣、寄進が相次ぎ、明治初年に正八幡宮の旧称から大港神社に改称された。
大正4年に境の龜井神社(もと新八幡宮 龜井能登守安綱 清若丸 手島四良三郎 小礒亦四郎)を合併。
昭和8年郷社に昇格。昭和27年に 境町字宮ノ西の旧郷社餘子神社(もと餘子三社大明神 稲田姫命 脚摩乳命 手摩乳命)、同末社日御碕大明神(大日霎貴命 素盞嗚命 倉稲魂命)を合併した。
餘子神社(創祀不詳)には明応9年(1500)再建の棟札があったと伝えられるが、昭和20年の戦災により社殿と共に焼失した。