本文へ移動

多居乃上神社

神社名
多居乃上神社
よみ
たこのうえじんじゃ
住所
鳥取市国府町広西194
祭神
大己貴神 素戔之男神 須勢理姫  速佐須良姫神 少彦名神 菅原道眞神
祭祀
例祭3月29日
夏祭7月29日
1月29日の御祷には、広西村の氏子が行列をして、神を当屋(現在は公民館)に迎える。
旧社格
村社
各種指定
宝篋印塔2基(鳥取市指定 保護文化財)
その他
境内面積 1,930㎡
集落の西方に東面して鎮座。境内の一隅に、高さ1m 程の宝篋印塔2基(町指定文化財)があり、室町時代のものとされる。
ツバキ、タブノキ、ケヤキ、イチョウ、スギが繁茂する。

由緒

創立年代不詳。『日本三代実録』貞観15年(873)7月の条に「授因幡國従五位上多神正五位下」とある多神は、巨濃郡の式内社「大神社」(美取神社)とする説(『旧神社誌』) もあるが、当社とする説(『因幡誌』『岩美郡誌』)もある。
『延喜式』神明帳(927)に「多居乃上神社」として載っている式内社である。
和名抄廣西郷の中心をなし、因幡国府からも1㎞の地にあり、社名から古代渡来人集団の祀る神とする説(川上貞夫著『赤脚子』)もある。
大正6年に法花寺の今衣神社(菅原道真公)、庁の廳村神社(須佐之男尊、現在大伴家持の歌碑がある)、町屋の小早神社(速佐須良比売神)と町屋神社(須佐之男尊)、境内の笹井神社(少彦名神)を合祀した。
氏子区域は、広西、法花寺、庁、町屋の四ヵ村からなり、古代因幡国府の中心に位置する。
昭和14年境内を拡張し、社務所を改築した。
『稲場民談記』に「此氏子章魚(たこ)ヲ不食、若食ヘハ祟ヲナスト云ヘリ」とある。 
TOPへ戻る