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樂樂福神社

神社名
樂樂福神社
よみ
ささふくじんじゃ
住所
日南町印賀1494-1
祭神
媛姫命 素盞嗚命 大山祇命 金山彦命 事代主命 天種子命 軻遇槌命 菅原道真公
祭祀
例祭11月11日
春祭5月5日
春祭りに神幸祭。秋は浦安の舞奉納がある。
旧社格
村社
各種指定
社叢が県天然記念物(昭和60年)
その他
主要建物 本殿(大社造変形1丈6寸4方明治21年建立) 幣殿 拝殿 随神門 手水舎 社務所
境内神社 稚宮神社(稚武彦命) 稚宮神社(弟稚武彦命) 天満宮金刀比羅神社

由緒

創立年代不詳。往古より印賀郷(菅沢、宝谷、榎垣内、大宮 (印賀)、折渡一帯)の産土神で近世まで樂樂福大明神と称された。『伯耆誌』は「当社もと榎垣内村一條山に在りしを応永4年(1397)一條山の城主肥前守沙弥道栄今の社地に移す云々」との社伝を記している。 慶長3年(1598)以降の棟札を存する。明治元年に摂末社の神を合祭して樂樂福社と改め、同6年に樂樂福神社と改称した。大正2年に印賀立石の榎垣内神社(もと荒神と山ノ神素盞嗚命大山祇命金山彦 命事代主命)、宝谷の宝谷神社(もと寶大明神天種子命大山祇命)、 折渡の山口神社(もと山神と金屋子神大山祇命軻遇槌命金山彦命) と金屋子神社(金山彦命大山祇命)を合併した。 当社主祭神媛姫命(ひめのみこと)は宮内の樂樂福神社の福姫命と同神であり、孝霊天皇の皇女とされる。幼くして薨去され、社背の山林中に御陵墓と伝わる所がある。御歳十五の一日、薗豆採取の折、竹枝にて片目を突かれ程なく薨去されたという。以来、村中に竹を植えず、竹箸を使うことをはばかったと伝える。当地は古来、鋼の極上品を産出した。
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