神社名 | 福田正八幡宮 |
よみ | ふくたしょうはちまんぐう |
住所 | 南部町大字福成1119 |
祭神 | 誉田別命 櫛名田姫命 仲哀天皇 神功皇后 武内宿禰命 大日孁貴命 素盞嗚命 小耶姫命 菅原道真命 大物主命 天兒屋根命 大山祇命 宇氣持命 母親神 |
祭祀 | 例祭9月15日 夏祭7月25日 例祭には、神幸式及び福籤がある。福籤は徳川中期より困窮者救済目的にて始めたもの。神幸式は現在中止、代わりに子供神輿四基をだす 。 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | ー |
その他 | 社紋 十六辨菊花 五七の桐 主要建物 本殿(三間社流造一丈三尺×八尺五寸 享保12年(1727)建立) 幣殿 拝殿 神楽殿 随神門 境内面積 5,643㎡ 旧谷川村(福成)の北側山麓、石段60段を上った地に南面して鎮座。 〈通称 谷川の八幡さん〉 |
由緒
創立年代不詳。往古よりこの地に櫛名田姫命を祀る福田ノ社があった。建久年間(1190頃)に源頼朝の命で諸国に八幡宮を勧請することがあり、その時に誉田別命と仲哀天皇を合祭したものと推定される。以来、福田の庄の大社、八幡宮と称した。500石の神領と神宮寺(12坊)があったと伝わる。
戦国の世、大永年間(1521~28)尼子経久伯耆攻めの折兵火により社殿を焼失したが、天正18年(1590)に吉川広家が西伯耆領主となり米子城築城の折に祈願所として再建した。この時、神領553石寄進があったが、中村領となり没収される。吉川家は、岩国へ移封の後も幕末まで毎年銀子を以て奉幣した。
元禄年間(1688~1704)神宮寺を廃した。この時僧侶の持ち出した「大般若経」が、岸本町善福寺に残り当社の由来が経櫃に記されている。鳥取藩主池田光政が八棟造神輿(両部神道式)を奉納し現存する。造営費の多くは藩より寄進があった。荒尾、鵜殿、乾等家老職よりも度々の寄進と参拝があった。
旧拝殿は五間に七間であったが、維新後、維持不能となって、明治13年一里松が倒壊したのを期に、此の大松樹一本を用材として縮小新建した。明治初年に末社の武内宿禰と村内摂社の日御﨑神(大日孁貴命)、妙見大明神(素盞嗚命)、権現(大山祇命)、小耶姫命を合祀し、福田神社と改称した。
大正5年福成の小鷹神社(もと若宮大明神 宇氣持命 素盞嗚命 大日孁貴命)と春日神社(もと春日大明神 天兒屋根命 大日孁貴命 素盞嗚命)、北野神社(もと菅原道眞)を合併した。
昭和54年に福田正八幡宮と改称。旧福田庄6ヶ村(谷川・柏尾・坂根・境・大袋・下安曇の地)の総氏神である。