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長田神社

神社名
長田神社
よみ
ながたじんじゃ
住所
南部町大字馬場1
祭神
誉田別命 気長足比賣命 多古理比賣命 多岐津比賣命 市杵島比賣命 素盞嗚命
足仲彦命 句句迺智命 稚日女命 保食神 大日孁貴命 倉稲魂命 五十猛命 伊弉諾命 
伊弉冉命 大山祇命 月読命 武内宿禰命 大鷦鷯命 菅原道眞 事代主命 
瀬織津比賣命 岩猛命
祭祀
例祭10月15日
旧社格
郷社
各種指定
樹叢が県天然記念物(昭和36年)
その他
社紋 左三つ巴
主要建物 本殿(流造二間四方) 通殿 拝殿 神楽殿 随神門 神輿庫
境内面積 20,500㎡ 
旧法勝寺宿の西方、岩国山の山上に南に面して鎮座。
石階184段。シイ・カシ・タブノキの大木、ヤブツバキ・サカキの古木が繁る。

由緒

創立年代不詳。往古より八幡宮と称した。現存最古の棟札は康永2年(1343)造立のものである。天正13年(1585)隠居の佐々木為清(三沢城主)が社殿を造営している。萬治2年(1659)と延寶9年(1681)に池田光仲が社殿を再建、社領7石9斗、幕、提燈(御紋付)を寄進している当社の一帯(もと34ヶ村)を古来長田庄と称しており、明治初年に八幡宮の称を廃し庄名に因んで今の社号に改めたものである。この時、境内末社武内宿禰神、天満宮(菅原道眞)、若宮大明神(大鷦鷯命)、辨財天(倉稲魂命 稚日女命 保食神)を合祀した。現在も旧西伯町の法勝寺以南の各村の総氏神である。大正5年に法勝寺村馬場の大﨏神社(もと荒神 素盞嗚命)と稲荷神社(倉稲魂尊)、大國村與一谷の大林神社(もと荒神 須佐之男命)、鍋倉の鍋倉神社(もと荒神 須佐之男命)、西の前田神社(もと八幡宮 誉田別尊 足仲彦命 氣長足姫命 倉稲魂命 稚日女命 保食神)、絹屋の森脇神社(もと森脇大明神 句々廼智命)を合併し、同6年に法勝寺村法勝寺の机田神社(客大明神 句々廼智命)と杉﨏神社(もと伊勢宮 大日孁貴命 岩猛命)、武信の武信神社(もと客大明神 伊弉諾命)、徳長の熊野神社(もと熊野権現 伊弉諾命 伊弉冉命)、道河内の岩﨑神社(もと荒神 須佐之男命)、伐株の山口神社(もと山ノ神 大山祇命)、福頼の月村神社(もと月村大明神 月讀尊)を合併した。
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