神社名 | 熊野神社 |
よみ | くまのじんじゃ |
住所 | 南部町金田976 |
祭神 | 伊弉諾尊 伊弉冉尊 経津主命 武甕槌命 倉稲魂命 栲幡千千比女命 事解男命速玉男命 國常立命 天照大御神 正勝吾勝勝速日天忍穗耳命 天津日高彦火瓊瓊杵尊 彦火火出見命 彦波瀲武鵜草葺不合命 軻遇突智命埴安之命 罔象女命 稚靈命 |
祭祀 | 例祭10月17日(11月3日) 風神祭(かざぎとう)9月1日 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | ー |
その他 | 社紋 丸に蔓柏 主要建物 本殿(大社造変形七尺八寸×七尺六寸 天保15年(1844)建立) 拝殿 随神門 神楽殿 手水舎 境内面積 3,090㎡ 御神木は、杖つきの栂(タブの小木。由緒がある) 集落の南のはずれ、石段60段を上った山腹に東面して鎮座。スギを中心とした社叢である。 境内神社 武内神社(武内宿禰) 荒神宮(素盞嗚尊) 宝物等 写経200巻 鏡三面 剣三振 火縄銃一丁 絵馬三枚 |
由緒
往古、紀伊国熊野より勧請、熊野12社権現(宮谷の熊野権現)と称し、小松庄7ヶ村(荻名、上野、池野、井上、小松、宮谷、御内谷)の氏神として崇敬された。中世、神宮寺として円福寺、法伝寺の2寺を有し、当社社宝の大般若経200巻は嘉禄から寛元の頃(1225~47)の写経とされる。現存する棟札のうち判読できるものは元亀3年(1572)のものが最古である。天正年間(1573~92)馬屋原河内守の祈願所として社領50石の寄進があったと伝えられる。天保15年(1844)造営の本殿・拝殿が現在の社殿である。明治初年に熊野神社と改称。近世まで境内に事解男命社(7神)と速玉男命社(5神)の2社が奉斎されていたが、この時合祀した。大正4年に旧賀野村御内谷の御内谷神社(もと妙見大明神と大蔵大明神 経津主命 武甕槌命 倉稲魂命)と荻名の荻名神社(もと若宮 大明神 栲幡千々姫命)を合併した。
旧記(古老の伝)によると大同年中(806~10)あるいは寛和年中(985~87)の勧請かとも伝わるが、当社の本願主と伝えられる雑賀家(現当主47代、米子市古市在住)には、天平勝宝の頃、神祇官藤原某(雑賀家遠祖)が、疾病退散、天下安定祈願のため熊野本宮に参詣、神託を得て分霊を奉戴し、丹波、但馬、出雲を巡った後に当地に至り、宮を建てて熊野神を奉斎し、大願を成就したとの伝承もある。