本文へ移動

天萬神社

神社名
天萬神社
よみ
てまじんじゃ
住所
南部町天萬990
祭神
天照皇大神 天手力男神 栲幡千千姫神 素盞嗚命 天照大日孁貴命 櫛稲田姫命 
天忍穂耳命 天穂日乃命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命 田心姫命 湍津姫命 
嚴杵島姫命 少那彦名神 倉稲魂命 大日本根子彦大瓊尊 細媛命 福媛命 日御碕神 
倭比女命 科長津彦命 科長津姫命 瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 保食命 産靈尊
祭祀
例祭4月11日 水無月祭7月31日 秋祭10月11日 荒神祭
例祭には、氏子奉仕者44名により本社と境内神社(熊野神社)の両神輿を神社より200mの処にある御旅所に巡幸する神幸祭を斎行する。
旧社格
村社
各種指定
その他
社紋 丸に天の字
主要建物 本殿(大社造変形一丈四尺四方) 幣殿 拝殿 神楽殿 随神門 祭器庫 手水舎
境内面積 1,752㎡ 
主要地方道溝口伯太線より約100mほど入った集落の西北、東面して鎮座。
社叢はシイ・クスノキ・スギ等で形成されている。
境内神社 熊野神社(もと熊野三所権現 伊弉冉神・速玉雄神・泉事解男神) 木野山社 荒神宮

由緒

正和元年(1312)11月、進紀成が伊勢皇大神宮を崇敬し、従来の氏神であった熊野権現境内(現社地)に勧請建立したものであると伝える。地方の崇敬が厚かったが、進氏没落後しだいに衰えたと云う。旧藩主より社領3斗3升3合を附せられる。近世は太神宮また天照皇大神宮と称されたが、明治初年に境内末社の斎宮大明神(倭比女命 科長津彦命 科長津姫命 瓊瓊杵尊 木花開耶姫命)、荒神宮(素盞嗚命)、熊野薬師(少那彦名神)と村内摂社稲荷大明神(倉稲魂命 稚産靈尊 保食命)を合祀して地名に因んで天萬神社と改称した。大正5年天津村大字清水川の清水川神社(もと若宮大明神 倉稲魂命 大日孁貴命 素盞嗚命)、手間村三崎の日御﨑神社(天照大日孁貴命 素盞嗚尊 櫛稲田姫命 天忍穂耳尊 天穂日命 天津彦根尊 活津彦根尊 熊野櫲樟日命 田心姫命 湍津姫命 嚴島姫命 少彦名命)尚徳村上安曇の樂樂福神社(もと樂樂福大明神 大日本根子彦太瓊尊 細媛命 福媛命)を合併した。天萬・三崎・清水川・米子市上安曇の氏神である。
TOPへ戻る