神社名 | 多里神社 |
よみ | たりじんじゃ |
住所 | 日南町新屋70 |
祭神 | 倉稲魂命 保食命 稚産靈命 菅原道眞 大山祇命 伊弉冉命 速玉男命 事解男命 稲背萩命 猿田彦命 蛭子命 菊理姫命 大己貴命 天穂日命 天津兒屋根命 稚日女命 金山彦命 倭武命 誉田別命 軻遇突智命 興登魂命 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命 泉津事佐加男命 大日命 大年命 國常立命 国狭槌命 豊斟渟命泥土煮命 沙土煮命大戸道命 大苫邊命 面足命 惶根命 伊弉諾命 天照大神 忍穂耳命 瓊瓊杵命 彦火火出見命 草葺不合命 天知加流美頭姫命 経津主命 |
祭祀 | 例祭11月16日夏祭7月24日夏祭に神輿2基で神幸祭があり、御旅所で1泊される。秋には「かしら打ち」と呼ばれる神事があり囃連が氏子地域を巡って祭を盛り上げる。 秋祭に境内で子供角力を奉納。 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | 南町環境保全区域に指定 「かしら打ち」が県無形文化財(平成17年) |
その他 | 主要建物 本殿(大社造変形1丈3尺×1丈2尺大正9年建立) 幣殿 拝殿 境内神社 木野山神社 金屋子神社 荒神社 境内面積 727㎡ 新屋の北西方山麓、国道沿いに南東に面してして鎮座。イチョウ(幹周3.7m)のほかケヤキ、スギ、クロマツの大木がある。 |
由緒
創立年代不詳。往古より多里庄八村の惣氏神で近世まで稲倉大明神と称した。もと亀尾山城内にあったのを当城落去の後、今の地に遷したと伝わる。(『伯耆誌』)「文禄4年(1595)大旦主藤原朝臣吉川拾遺廣家」 と記されている古棟札がこの時のものと思われる。明治元年に稲倉社、同7年に稲倉神社と改称した。大正3年に 多里の稲荷神社(もと稲荷大明神と熊野権現倉稲魂命外八神)を合併。同4年に萩原の村社大歳神社(もと大歳大明神、大年命外六神)、湯河の村社岩崎神社(天穂日命外五神)、 新屋の稲荷神社(倉稲魂命外一神)、野組神社(もと十二社権現國常立命外一五神)、靑瀧神社(伊弉冉命外三神)、大歳神社(大年命外一神)、 上萩山の金屋子神社(もと金屋荒神金山彦命外一神)、奥萩神社(天穂日命外一神)、西垣内神社(もと王子権現菊理姫命外二神)、湯河の柳本神社(猿田彦命外二神)、湯谷神社(倭武命外八神)を合併した。 大正9年に現在の社殿を造営し多里神社と改称した。