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樂樂福神社

神社名
樂樂福神社
よみ
ささふくじんじゃ
住所
日南町宮内236
祭神
大日本根子彦 太瓊命 大吉備津彦命 細姫命 彦狹島命 倉稲魂命 大山祇命
祭祀
例祭5月1日
秋祭11月3日
旧社格
県社
各種指定
日南町環境保全区域に指定
その他
主要建物 本殿(入母屋造妻入向拝唐破風造檜皮葺2丈4方文化12年(1815)建立) 幣殿 拝殿(以上の諸殿は
平成17年12月に倒壊) 随神門
境内面積 2,813㎡
東樂樂福神社の西方700m、宮内川の対岸に南東に面して鎮座。御神木はイチョウの古木(幹周4.6m)。スギの大木が多い。

由緒

当社(西の樂樂福神社)の創建は東樂樂福神社より古く、弘仁12年 (821)との伝承があるが、実際の創立は遠く上古にさかのぼると考 えられる。日野川を隔てて両岸に相対し、西宮、東宮と鎮座する形式は伊勢の内宮と外宮、京都の上賀茂、下鴨両神社と同様であり古代祭祀の様子がしのばれる。主神大日本根子彦太瓊尊は人皇第七代孝霊天皇であるが、『伯耆誌』には「当社もと稚武彦(孝霊天皇第五皇子稚武吉備津彦命)を祀れるに云々」とあり、記紀の記述に基づいて詳細な考証がなされている。また旧鳥取縣神社誌は大吉備津彦命(孝霊天皇第三皇子)を主神としている。平成17年の雪害で諸社殿が倒壊したため、樂樂福神社(東宮)に仮合祀している。日野支部374日野支部『伯耆民談記』には「樂樂福太明神、宮内西村、社領7石4斗7升8合、西東両社共に大社にして神宮寺あり、社の後なる山上に岩窟あり、 天皇の皇女の崩御の窟なりと云ひ伝ふ」と記されているが、現今、当社北東の山を崩御山と呼んでおり、皇后細媛命の御陵とする伝承もある。 山頂の石累は高4丈に達し、備中の国石蟹より天狗が運び落したと伝えられている。なお、祭神御一族の御事跡について日野、西伯地方に種々の伝説が残されており、孝霊天皇(皇后、皇女)を主祭神、合祭神とする神社は旧日野郡を中心に11社を数える。樂樂福神社(810番参照)。
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