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樂樂福神社

神社名
樂樂福神社
よみ
ささふくじんじゃ
住所
日南町宮内1065
祭神
大日本根子彦太瓊命 若建吉備津彦命 細姫命 福姫命 素盞嗚命 大己貴命 大山祇命 経津主命 武甕槌命 市杵嶋姫命 猿田彦命 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 金山彦命 彦火火出見命 高命 蛭子命 大日貴命 軻遇槌命 倉稲魂命
祭祀
例祭5月1日秋祭11月3日例祭に神輿渡御。秋祭には浦安の舞奉納。
旧社格
県社
各種指定
日南町環境保全区域に指定
その他
主要建物 本殿(3間社大社造変形1丈9尺4方昭和15年建立) 幣殿 拝殿 神饌殿 随神門 社務所
手水舎 社宅 神輿庫
境内神社 若宮神社(欝色雄命外三神) (1丈4方の古社殿) 木野山神社(大山祇命外1神)
境内面積 7,534㎡
宮内の南側山麓に北面して鎮座。境内は、石階50段あり、スギの古木に覆われている。護国の英霊を祀る彰徳殿があり6月23日慰霊祭を斎行。
宝物等 「御幣物」 「装飾壷」 「獅子頭」 「水晶玉(二個)」

由緒

古来、日野大社樂樂福(笹福)大明神と称され、旧日野郡開拓鎮座の総氏神である。鉄生産の祖先神として篤く崇敬された。仁和2年(886)の創建とする口伝もあるが、祭神御一族の御事績について数々の伝承が残っており、実際の創立は上古にさかのぼると考えられる。 第7代孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊)を主神とし、皇后、皇妃、 皇子たち及びその御一族を祀っている。旧『鳥取縣神社誌』は若建 吉備津彦命(孝霊天皇第5皇子) を主神としており、『伯耆誌』にも 考証がある。『伯耆民談記』(1742)には「樂樂福太明神、宮内 東村、社領6石5斗、当社を奥日野大社と号す、天皇此所に於て悪鬼を退治ありし地なりと言伝ふ、 此地に鬼塚と号して方五間に余る大きなる塚あり、社記に其所の悪鬼共の屍を埋めたる塚といへり、 其外、山中所々に奇異の古跡勝て数ふべからず」と記されている。寛永9年(1632)の神領は20石、万治2年(1659)より元禄4年 (1691)の間の神領は13石9斗7升8合であった。近世まで社家2戸と神宮寺を有した。明治元年に村内の摂社稲荷大明神(倉稲魂命)を合祭して樂樂福社と改め、同7年に樂樂福神社と改称した。大正8年に宮内の村社内裏原神社(素盞嗚命外二神)、村社坂根神社(もと三体妙見宮、経津主命外二神)と村社宮谷神社(もと荒神素盞嗚命)および、矢戸の村社厳島神社(もと厳島大明神市杵島姫命外三神)と村社375日野支部大森神社(市杵嶋姫命外二神)、河上の村社川上神社(もと宇佐八幡応神天皇外四神)、愛宕神社(軻遇槌命大山祇命)、丸山の村社村尾神社(もと客大明神彦火火出見命外五神)の8社を合併した。昭和15年に現在の本殿及び諸社殿を造営した。
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