神社名 | 鳥取東照宮 |
よみ | とっとりとうしょうぐう |
住所 | 鳥取市上町87 |
祭神 | 徳川家康公 池田忠継公 池田忠雄公 池田光仲公 池田慶徳公 |
祭祀 | 例祭 4月17日 秋祭 10月17日(近い土曜と日曜) 秋祭には、境内に楽座楽市(フリーマーケット)が開かれ賑わう。平成12年秋祭に御幸行列が70年ぶりに復活した。 |
旧社格 | 県社 |
各種指定 | 本殿・唐門・幣殿・拝殿が国重要文化財有形建造物(昭和27年) 太刀4振が県有形工芸(昭和50年) 社叢が鳥取市保護文化財に指定 |
その他 | 境内面積 77,443㎡ 南面して鎮座 スギ(幹周5m)、モミ、シイ等の巨樹が鬱蒼と生い茂り、千古の緑を湛える森厳な神域である 清涼な渓谷は池水に恵まれ、鳥取市の名勝となっている 随神門から石段に至る参道の左右に慶安3年(1650)上級家臣14名寄進の20基の石燈籠が並ぶ |
由緒
寛永9年(1632)、池田光仲が因伯二州を領して入国。日光東照宮の分霊を奉祀するために樗谿に神域の整備、社殿の造営をはじめる。
慶安3年(1650)9月、徳川家康を祀り、以来、東照宮あるいは東照権現と称した。当社は藩主の経営奉仕するところとなり、神領500石を寄進される。社殿の構えは華美であり、祭祀も壮麗に厳修され、その盛儀は比類の無いものであった。
承応元年(1652)、古市村の河原に御旅所が設けられ、9月17日に初めての御幸神事が執行された。昭和初年まで続いていた御幸神事は権現祭と称せられ、国主の勢威と旧藩時代の鳥取の盛時とを追想させるものがあった。当社祭儀は両部神道により行われていたが、明治2年9月、神式に改められた。
明治7年3月、藩祖池田忠継、池田忠雄、池田光仲の三霊を合祀し社名を樗谿(おうちだに)神社と改称した。
明治11年9月、元藩主池田慶徳を合祀。
平成23年鳥取東照宮と改称。
因幡地方に伝わる麒麟獅子は、その舞い方を権現流と称し当社を淵源とする。
因幡地方に伝わる麒麟獅子は、その舞い方を権現流と称し当社を淵源とする。