本文へ移動

國坂神社

神社名
國坂神社
よみ
くにさかじんじゃ
住所
北栄町大字国坂1500
祭神
少彦名神
祭祀
例祭10月15日
旧社格
旧久米郡旧郷社
各種指定
社叢が北栄町の指定保護文化財(記念物)
その他
社  紋  五七桐 
主要建物  本殿(大社造変形向拝唐破風造6尺四方447頁参照)幣殿、拝殿、随神殿二棟、神門、参籠所、手水舎
      透塀三棟 土塀 
境内神社  荒神社 八幡社 秋葉社 
境  内  面積12,497㎡。
      國坂集落の西寄り、茶臼山の北麓に東面して鎮座。神木を含むシイを主体とした照葉樹の1haに及ぶ
      広大な社叢となっている。御神木は、社殿正面の大椎(樹齢500年のスダジイ、三本連の幹周11m)。
      齋霊塔(戦没者慰霊碑)、伊勢神宮遙拝所がある。

由緒

創立年代不詳。国史に記載されている神階授与については、 『続日本後記』承和4年(838)2月の条に「従五位下」、『文徳実録』 斉衡4年(856)8月の条に「正五位下」、『三大実録』貞観9年(867)4月の条に「正五位上」となっており『延喜式』神名帳(927)にも「伯耆国久米郡國坂神社」と記載されている。
中世には伯耆国四宮と称したと云われ、以後四宮大明神と呼ばれた(『伯耆民談記』)。大永年間(1521~28)茶臼山城主増田玄蕃が当社再興に尽力し社殿を造営している。当社の祭神については大日本史に土人の説として大己貴命を祀るといい、日本地理志料も大国主命を祀ると記しているが元禄7年(1695)著の「伯陽六社美地之記」には少彦名尊を祀ると記している。
明治初年、國坂神社と改称した。国坂、 国坂浜、国坂東、大野、山西部落の氏神である。昭和の御大典記念事業で幣殿、拝殿の改築、玉垣、 石段を含む境内整備を実施、同15年皇紀2600年記念事業で随神殿、参籠所、神門、透塀を新築し、境内を拡張整備した。かつて東方に約二反歩の神池があり「御手洗(ミタラシ)池」と呼ばれ、昔から池一面にジュンサイ、コウホネ(河骨)が群生していた。疫病の流行や難病人があれば当社に祈願してこの水草を煎じ、服用すれば霊験があったと伝えられている。
TOPへ戻る