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八幡宮

神社名
八幡宮
よみ
はちまんぐう
住所
北栄町大字西高尾340
祭神
譽田別尊 帶中津彦尊 氣長足姫尊 武内宿禰命 素盞嗚命
祭祀
例祭10月15日神幸祭は 猿田彦、鎧武者、大榊、錦旗、比礼旗、 神輿2基等氏子総出で賑わう。
旧社格

各種指定

その他
社紋 丸に対鳩 
主要建物 本殿(大社造変形1丈×8尺6寸) 幣殿 拝殿 社務所 参籠所 神門 
内神社 稲荷神社 道祖神社 
境内面積 4,878㎡東高尾、西高尾、上種の中間地、八幡山の山頂に南東に面して鎮座。
シイの巨木(幹周5.4m)をはじめシイ、モミ、カシ、ケ ヤキ、ヒノキの大木等の豊かな自然林に覆われている。

由緒

当社は陽成天皇元慶年中(877~85)石清水八幡宮別宮種八幡宮として勧請され、佐藤某なる者の献金により奉建されたものと伝わる。
尼子晴久が社殿を建立し、社領を奉献している。藩政期に入り、藩主池田家の祈願所として崇敬された。寛延元年(1748)雷火により社殿が全焼したが、地方崇敬者の寄進により再興した。
明治5年に高尾神社と改称したが、同12年に八幡宮に復称した。
大正4年4月上種(下種)の村社大宮神社(もと大宮大明神大已貴命他四神)、東高尾の東高尾神社(もと荒神)を合祀した。
大宮神社(下種が奉斎)は戦後分離した。東高尾、西高尾、上種の氏神である。 元暦2年(1185)正月源頼朝の社領安堵下文(『石清水八幡宮古文書』)に当社が石清水別宮として記されている。
また、境内より出土した経筒は平安時代中期のものといわれ県立博物館に寄託している。
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