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宮﨑神社

神社名
宮﨑神社
よみ
みやざきじんじゃ
住所
北栄町大字大島648
祭神
伊弉諾尊 伊弉冉尊 素盞嗚尊 天兒屋根尊
祭祀
例祭四月九日
旧社格
旧八橋郡旧郷社
各種指定

その他
社紋 丸に宮の字 
主要建物 本殿(春日造変形向拝唐破風造7尺×6尺9寸) 幣殿 拝殿 随神門 社務所 
境内神社 芳野神社 
境内面積 3,200㎡集落の東北入り口、県道沿いに南面して鎮座。シイ(4.5m)、タブ、スギ、ヒノキを主 とする社叢。 宝物等 池田家奉納刀剣一振相州秋廣作

由緒

創立年代不詳。近世まで宮﨑大明神と称した。
由緒書等すべて文化年間(1804~18)の火災で焼失したが、口碑によると、大昔はこのあたりは入海で、潮が満ちれば往来が出来ず、住民は困難していた。
孝霊天皇の皇子大日本根子彦国牽尊が之を解消しようと伊弉諾尊・伊弉冉尊を奉斎されたのが本社の始まりと云う。
景行天皇の皇子日本武尊西征の折、台風により社地に漂着、神助に感謝し自ら州の中央に大麻を刺し立て、ご飯を炊いて奉斎されたとも伝える。その地を今も「飯の山」と 呼ぶ(旧神社誌)。元和3年(1617)国主池田光政公の頃、新田開拓に着手したが成功に至らず、新奉行圓乗寺勘兵衛が本社に祈願したところ漸くにして成就、国主感喜して社領3石9斗1升を寄進して、藩の祈願所とした。
明治初年宮﨑神社と改称。大正3年に西穂波神社(素盞嗚尊)を合祀、同5年に村社穂波神社(もと春日大明神天兒屋根尊)を合併した。氏子区域は、大島全域。 境内に船神様と称し船型の岩が祀られているが、これは昔、日本武尊が漂着された小船が石に化したものとされている。
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