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貴布禰神社

神社名
貴布禰神社
よみ
きふねじんじゃ
住所
米子市車尾1113
祭神
闇龗神 高龗神 船玉神 誉田別命 宇賀魂神 天照皇大御神 道真公 大歳神 大己貴命
祭祀
例祭4月19日
秋祭10月19日に神社主催の青少年育成奉納試合大会があり、氏子内の三小学校のスポーツ少年団による五競技がある。
旧社格
村社
各種指定
嗒然の絵馬「朝比奈三郎、曽我五郎の草摺を抜く図」(安政7年奉納)米子市指定有形文化財(昭和52年)
その他
文化財 文禄4年(1595)以降の棟札百余枚、絵馬等
境内神社 中島神社 上福原神社 石製の遙拝所三殿(伊勢神宮・大宰府天満宮・美保神社) 
境内面積 2,503㎡
国道9号線の南側、市街地に南面して鎮座。クスノキ、スギ、ケヤキなどで社叢を形成する。

由緒

創立年代不詳。鎌倉時代初期、深田家初代信輝らが濱中の里(車尾の旧俗称)を開拓した頃とされる。米子市車尾、皆生、上福原、中島四ヶ町村の総産土神として崇敬された。
700年近い歴史の中には、車尾の地に縁深い後醍醐天皇、瓊子内親王父子の悲哀御歌、伝説等もある。
戦国時代以降は久代氏、松平氏をはじめ、因伯太守池田氏の武運長久祈願所として崇敬を集める。日野川氾濫の災害もあり、明和3年(1766)3月に現社地に奉遷した。この時京都鞍馬の貴船大神の御分霊を奉戴、天神(道真公)と合祭して貴布禰大明神と改称した。
明治初年に誉田別命以下の諸神(摂・末社)を合祀して貴布禰神社と改称した。
元弘2年(1332)、後醍醐天皇が当地方の豪族深田家に御駐泊された時、当神社に参拝し隠岐国御遷幸の武運長久を祈願。御鞍を敷かれ、しばし休息されたことから、鞍敷神社と改称したという伝承がある。祭神「クラオカミ」に音が通じるが、沿革不詳である。
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