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和田御﨑神社

神社名
和田御﨑神社
よみ
わだみさきじんじゃ(通称:ミサキさん)
住所
米子市大篠津町2075
祭神
速須佐之男命 大己貴命 稲田姫命 稲背脛命
祭祀
例祭4月29日 宵宮祭に弓術奉納、例祭日に境内での農具市・花木の市・小学校PTAによる餅つき大会、稚児行列
夏越祭7月14日
旧社格
村社
各種指定
元宮社叢(通称「御﨑の森」本社の南側)が米子市指定天然記念物(昭和53年)
その他
宝物等 雲龍彫刻額縁
境内神社 稲荷神社 豊受社
境内面積 5,630㎡(境内面積3,130㎡、元宮社叢2,500㎡)
大篠津町の南端で和田町の北側に北東に面して鎮座。本殿の周囲はヤブニッケイ、クスノキ、ムクノキ、タブノキ等が繁茂し、クスノキは幹周6m、樹高19mの巨木がある。砂地の平坦地で境内の後方は田畑が広がる。

由緒

永禄年間(1558~70)尼子の家臣安田氏と武田の残党井田氏が共に農となってこの地を開発した。
由緒書に万治2年(1659)出雲国日御碕神社の分霊を勧請したとあり棟札が現存する。
社地は 延宝7年(1679)現在地に移転している。元の社地は50メートル程南西で元宮社叢として現存し、明治24年創建の豊受社が鎮座する。和田御崎大明神の称を明治初年に和田御崎神社と改称。
『和田御﨑大神宮縁起』には、往古当社は祇園神の社地(現在の元宮社叢で嘉永3年(1850) の社帳によると鷺大明神と稲荷大明神が相殿に祀られていた)にあったが、馬上のまま往来すれば凶事が起こり、渡海の帆船が難儀するなど災難が相次ぎ、神慮を恐れて氏子の所有地の寄進を受けて移転したと記載されている。氏子区域は大篠津町と下和田地区の一部である。
境内社稲荷神社は天保12年(1841)三條西季知卿の寄進によるもの。当地出身者が三條西家の諸太夫となり、当社の霊験を言上したことが発端であり、三條西家の邸内稲荷を勧請したものである。また御幕、提灯の寄進も受け、嘉永5年(1852)に卿の代参として縄田釆女が参詣している。「三條西御殿より御代参由来記」に詳述されており、寄進の書面二葉が現存する。
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