神社名 | 諏訪神社 |
よみ | すわじんじゃ |
住所 | 米子市大篠津町576-1 |
祭神 | 武御名方命 大己貴命 事代主命 多紀理毘古命 多紀理比賣命 狹依毘賣命 稲背脛命 |
祭祀 | 例祭11月18日(11月3日) 例祭には神輿、子供神輿4基、小学生による奉納相撲。 夏祭7月29日 わくぐり祭(夏祭)には茅の輪、形代を海岸まで運び、厄年の者が沖合まで泳いで流す。 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | |
その他 | 宝物等 御分霊を納めて信州から持ち帰ったという皮製の行李 境内神社 荒神(石造) 境内面積 2,157㎡ 大篠津町東寄り(国道431号線沿いに、アジア博物館から外浜県道に向かい北側に入った町中)に北東に面して鎮座。 移転時に移植した樹木も成長し、クスノキは樹勢が盛んである。 |
由緒
社伝(正徳、享保、天明年間の『神社改帳』、『神社由来書』)並びに口伝によれば武田信玄の家臣井田藤右衛の一族郎党がこの地に来て開拓し、天正年間(1573~91)郷里の信州諏訪大社の御分霊を勧請、佐斐神村に祠を建て祀っていた。その後大篠津、下和田へも移り住み、慶安2年(1649)三ヶ村の中央部に当たる旧社地(字城跡)に社殿を建て大氏神として祀ったという。御分霊を納めて信州から背負って帰ったという行李は、井田家に秘蔵されていたが、現在は神社に奉納されている。
明治初年、村内の恵美須社(事代主命)と境内の厳島大明神・白兎大明神(稲背脛命)を合祀し、諏訪大明神の旧称を廃して諏訪神社と改称した。昭和59年5月近隣の美保基地周辺整備事業に伴い現社地に移転、新築造営した。大篠津町、幸神町の氏神である。
樹齢600年以上(防衛施設局調)の大松があったが、飛行障害として 昭和17年に旧海軍が中途まで伐採、同25年米軍が根元から伐採した。