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宗形神社

神社名
宗形神社
よみ
むなかたじんじゃ
住所
米子市宗像298
祭神
多紀理比賣神 多岐津比賣神 市杵島比賣神 経津主命 武甕槌命 日本武命 上筒男命 中筒男命 底筒男命 誉田別命 伊弉諾命 速玉男命 事解男命 素盞嗚命 大山祇神 猿田彦命 倉稲魂命 天兒屋根命 天太玉命 鈿女命 阿蘇彦命 保食命 月讀命
祭祀
例祭5月3日
秋祭11月3日
旧社格
郷社
各種指定
クスノキが鳥取銘木100選に指定
その他
宝物等 桃形兜一頭(吉川元春奉納) 神輿
主要建物 本殿(大社造変形一丈×九尺 寛保3年(1743)建立)
境内面積 7,300㎡ 
御神木はスギ2本。国道181号線から加茂川を渡った西岸に東面して鎮座。

由緒

創立年代不詳。『日本文徳実録』齊衡3年(856)8月の条に「伯耆国宗形神従五位上」とあり、『延喜式』神名帳(927)に「伯耆国會見郡胸形神社」とある旧社である。
往古の鎮座地は現社地より北約300mの宮の谷という所で本宮と呼ぶ。本殿があったと伝える山頂の地には小石が多くあり、中腹に泉が湧き、ごう(却)井戸と称して断水することがない。
弘治2年(1556)に現社地に奉遷し、尼子晴久が社殿を建立、社領高三百石を寄進したという。その後吉川元春が社領百二十石を増進し、太刀二振兜一刎を寄進したが、中村忠一が当国を領するに及んで社領はすべて没収された。
天保8年(1695)と寛保3年(1743)に本殿を改築。享和3年(1803)に幣殿、拝殿を造営している。幕末、藩主池田慶徳は幕・提燈を寄進し、慶應3年(1868)には自ら参拝している。旧藩時代には社殿の修理営繕に際しては會見郡内の高割を以てした。
近世宗像大明神と称されたが、明治初年に境内末社春日大明神、阿蘇大明神、住吉大明神、稲荷大明神、月讀宮、八幡大神、須佐宮を合祀して宗形神社と改称した。
大正6年に日原の住吉神社(もと住吉大明神 表筒男命 中筒男命 底筒男命)、石井の石井神社(もと八幡大神 誉田別尊)、奥谷の熊野神社(もと熊野権現 伊弉諾尊 伊弉冉尊 大日霎尊)、美吉の上飯生神社(もと荒神素盞嗚命)と下飯生神社(もと山王権現大國主命)、長田の陽田神社(もと荒神素盞嗚命)を合併した。成実校区の氏神である。
昔、当社の祭神が長田の地(宗像と隣接、当時海浜であった)に海路で御来着、宗像の地に鎮座されたといい、御着船の地を今も船塚と称し、御舟は石になったと言い伝えられている。
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