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北条八幡宮

神社名
北条八幡宮
よみ
ほうじょうはちまんぐう
住所
北栄町大字北尾613  
祭神
譽田別尊 息長帯姫尊 帶中津彦尊  武内宿禰命 綿津見神 素盞嗚尊 大山祇神  猿田彦神 國常立神 
大己貴神 少彦名命  倉稲魂命 天児屋根命 奥津彦神 奥津姫神  土御祖命 菅相烝
祭祀
例祭10月15日。
節分祭2月3日 追儺式…鬼の的に向かって三本の矢を射る神事。
        弓矢八幡の伝統行事で、昭和54年に復活。節分祭に斎行される。
旧社格
旧久米郡旧郷社
各種指定
里見氏の「棟札」「梵鐘」が北栄町の指定保護文化財
その他
社  紋  左三つ巴五三桐
主要建物  本殿(三間社流造、千鳥破風付軒唐破風付1丈7尺×1丈1尺。 天保3年(1832)建立)幣殿、拝殿、
      参集所、鐘撞殿 、手水舎、随神門
境内神社  木乃実社 
境  内  面積19,641㎡。
      下北条駅南側の八幡山山上に南面して 鎮座。八幡山全体がシイを主体とする社叢となっている。

由緒

旧「鳥取縣神社誌」は、貞観7年(865)に宇佐八幡宮を勧請したと記しているが、承平5年(935)に北条郷堤城主山田山城守頼円が山城国の石清水八幡宮を勧請したとするのが正説とされる。
近世まで山田八幡宮と称し、郡内屈指の大社である。永禄5年(1562)岩倉城主小鴨基清が社領500石を寄進。天正8年(1580)吉川元春が鞍骨一背を寄進。元和2年(1616)里見忠義が社殿を造営した。安永2年(1773)、北尾堤城主山田左衛門尉紀秀員入道眞観が、弘安6年(1283)制作の梵鐘を改鋳奉納している。
明治初年に八幡神社と改称。大正2年12月、曲の村社苅山神社(もと海龍王綿津見神)、岡の村社岡神社(もと牛頭天王素盞嗚尊)、米里の嶌澤神社(もと荒神素盞嗚尊大山祇神)、島の田村神社(もと田村大明神猿田彦神)、弓原の田井神社(もと妙見大明神國常立神)、下神の下神神社(もと天神菅相烝)、土下の三輪神社(もと三輪大明神大己貴神外四神)、弓原の弓原神社(もと三宝荒神奥津姫神外二神)の八神社を合併した。(戦後分離した神社もある)昭和63年社号を北条八幡宮 に改めた。米里、島、北尾、田井、弓原、下神、松神の氏神である。
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