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壹宮神社

神社名
壹宮神社
よみ
いちのみやじんじゃ
住所
大山町上万1124
祭神
正哉吾勝勝速日天忍穗耳命 萬幡豊秋津師姫命 天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊 稚國玉下照比賣命 
表筒男命 中筒男命 底筒男命 天照大神 稚日女神 少彦名命 素盞嗚命 菅原道眞
祭祀
例祭4月21日 
サイノカミ祭…旧12月15日頃に氏子中の人が境内の一角にあるサイノカミに一対のワラ馬を奉納し、無病息災家内安全を祈る。
旧社格
郷社
各種指定

その他
境内神社 サイノカミ 
境内面積 5,027㎡
妻木集落の西方、県道(大山淀江インターン線)南側に北面して鎮座。
境内林は、タブノキ・モチノキ・スギ・ツバキ・クスノキなどで形成する。

由緒

創立年代不詳。戦国時代の争乱により、旧記を存しないが、往古より当郷の大社であり、近世も藩主の崇敬篤く社殿営繕費用は当郡賦課を例とし、安産守護の神として崇敬された。
明治初年に壹宮大明神の旧称を廃して壹宮神社と改称した。
大正5年に旧高麗村平田の村社津守神社(もと摂津大明神と稲荷大明神 表筒男命 中筒男命 底筒男命)、上萬の上萬神社(もと山王宮 大己貴命 倉稲魂命 罔象女命 菅原道眞)、妻木の富岡神社(もと利寿権現 天照大御神 稚日女命 少彦名命)、旧所子村野田の野田神社(もと大荒神 素盞嗚命)、清原の清原神社(もと大荒神 素盞嗚命)、莊田の庄田神社(もと山王宮 大己貴命)を合併した。妻木、富岡、荘田、清原の氏神である。上萬神社は昭和37年に分離した。
当社の裏山で「妻木晩田遺跡」が発掘され、縄文時代から室町時代までの遺跡が発見されている。弥生時代の集落跡は国内最大級で平成11年に国の史跡に指定された。本殿裏の「すくね塚」は孝霊山の神々を祀る聖地であったといわれている。
社号の由来について、天忍穂耳命が降臨なされようとした時、瓊瓊杵命が「いちはやく」御誕生になった故を以て一の宮と称したと言う伝承、また当郷開拓の際、最初に建てた神社である故との口碑がある。
六木(むき)村の老夫婦が、毎朝神社に祈願した甲斐あって一女に恵まれた。娘は長じて後に帝のお后にと望まれ、「月日よりなほいや増すの詔(みことのり)かずの女人も汗を入りぬる」と詠じたので、以後この地方を「汗入(あせいり)」と呼び、帝から「ははき(伯耆)には夢の架け橋大山寺妻木(つまき)の里にありとこそ聞け」と賜ってからは、六木が妻木に改められたという伝承がある(『伯耆民諺記』、『大山寺縁起』、『朝妻縁起』)。
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