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日吉神社

神社名
日吉神社
よみ
ひよしじんじゃ
住所
大山町赤松943
祭神
大己貴命 大山祇命 豊玉姫命 譽田別命 倉稲魂命
祭祀
例祭10月10日(第1日曜)
荒神講(藁の大蛇を奉納)
旧社格
村社
各種指定

その他
宝物等 御神刀
境内面積 850㎡
北西に面して鎮座。境内林は神木のタブの大木(3m)やケヤキ・スギで形成。

由緒

創立年月不詳。承応3年(1654)に記された徳川幕府直轄地大山領代官西楽僧正胤海法印の文書に「古くより山王権現と称し地方豪族の信仰厚く偉大なる神徳霊験を蒙る。戦国の世、尼子氏、毛利氏の戦乱兵火に罹り云々」とある。
また、江戸よりの代官御家人下治(右衛門藤原朝臣)家重の文書では、「神徳厚きを尊び地下赤松村人と社地移転を図り大山西南一里ふもとより宮の峰に祭祀遷し奉るも、村人住まい移転により瀧坂に社地を遷し奉る。」とある。
明治初年、山王権現(日吉山王宮とも)の旧号を廃し村内飛ヶ坪の大山祇神(もと山ノ神)を合祀して日吉神社と改称した。
大正2年に赤松の明間神社(もと稲荷倉稲魂命)、池ノ神社(もと八大龍神 豊玉姫命)、一ノ谷神社(もと八幡宮 譽田別命)、大谷神社(もと八幡宮 譽田別命)を合併した。赤松集落の氏神である。
明治以前の棟札には祈願祭、社殿修復等、大山領橋本代官、妻木代官、 岩橋代官等の執筆になるもの、また、大山寺僧正西楽院、養心院、木覚院による凡字棟札、経文棟札等多数がある。再建石鳥居の「山王宮」の額文字は代官妻木内蔵進定員の書である。
承応3年(1654)の古文書によれば、赤松集落が大干ばつに見舞 われたので、氏神様の御神託を受けたところ、閏年2月2日、五穀豊穣と村の繁栄を祈り、大蛇を奉納せよとのお告げがあり、その後神託の通り、各戸より藁を持ち寄り大蛇作りに総員が奉仕して奉納することにな ったとある。その神事が「荒神講」として続けられている。
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