神社名 | 意非神社 |
よみ | おいじんじゃ |
住所 | 若桜町大字屋堂羅1 |
祭神 | 天饒速日尊 |
祭祀 | 例祭10月9日 秋祭(霜月祭) 夏祭 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | |
その他 | 境内面積 1,563㎡ 集落下手のはずれ、坂道を上った小高いところに東面して鎮座。祭日には、高さ日本一の大幟がはためく。 |
由緒
『延喜式』神名帳(927)所載の神社。創立年代不詳。往古より屋堂羅村の氏神で、近世は大炊ノ宮と称された。
元禄2年(1689)同村字宮ノ前に遷して社殿を再建している。明治初年に意非神社の旧称に復し、明治7年12月社殿を造替した。
『因幡誌』に(以下、口語訳)「大炊宮は当村の氏神で延喜式神明帳に載る意非神社である。意非は大炊のかなを略したもので(意=オ)俗に老ノ宮と称するのは大炊の訛りである。近辺に大炊村があり、地名と神号につながりがある。
社伝によると形代は白羽矢であり、村人の話では当社は初め隣村の長砂一宮谷にあって、武内宿禰の来征した時、其地より矢を放って言うことに、この矢の落ちる所に社殿を遷すべしと。そこで今云う矢落谷(屋堂羅の北の谷)に遷座したが、其の地は狭いので近世になって現在の地(屋堂羅と浅井の間)に遷したと伝えられる。
この説によると屋堂羅は矢通りのかな書きであろう。」と記されている。
平成23年1月に木鳥居としては県下一(高さ10m)の鳥居を建立。