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賀茂神社

神社名
賀茂神社
よみ
かもじんじゃ
住所
八頭町宮谷286
祭神
瓊瓊杵尊 木花咲耶姫 尊別雷尊 彦火火出見尊 豊玉姫尊 天穂日尊 素菟神 天児屋根尊
猿田彦尊 罔象女尊 須佐之男尊 倉稲魂尊 誉田別尊 市杵嶋姫尊
祭祀
例祭4月15日
秋祭10月15日
建国祭2月11日
夏越大祓
旧社格
村社
各種指定

その他
境内面積 2,224㎡
国道29号線の東側に県内最大級の大鳥居(高さ10m)が見える。集落の上手、丘陵の麓にシイを主とする照葉樹林に囲まれて南西に面し鎮座。 スギ、ヒノキの高木もまじり樹種は豊富。
宝物等古文書 「賀茂皇太神宮録記」天暦6年(852)「賀茂太神宮(神領二百石拝領由緒)」文明3年(1471)「賀茂大明神曰謂書(遷祀の記)」寛永4年(1627)「神剣」

由緒

創立年代不詳。往古、京都の上賀茂・下鴨両社を勧請して、 宮谷正面の山頂京賀里(京が塚)に上下両社を奉斎し、賀茂大明神と称した。
賀茂ノ庄九ヶ村(井古、下坂、塚原、奥谷、宮谷、郡家、久能寺、 萬代寺、土師百井)の産土神である。天暦6年(952)社殿大破に及び再建。天正9年(1581)に社殿焼失、上下両社とも現社地に奉遷した。明治元年に上賀茂2社並びに賀茂村瀬戸田の境外末社稲生神(倉稲魂神)、本谷の境外末社瀧ノ神(罔象女尊)の4社を下賀茂神社に合祀し、賀茂神社と改称した。
大正3年に賀茂村福本の村社白兎神社(もと土師百井、池田、福本、下門尾、上門尾5村の氏神で白兎大明神と称した。素莵神、倉稲魂神)、稲荷の村社土師神社(もと浄土大明神 天穂日命)、奥谷の奥谷神社(もと荒神 須佐之男尊)、下坂の塚原神社(もと神明 天兒屋根尊)と下坂神社(もと荒神 須佐之男尊)、井古の井古神社(もと荒神 素盞嗚尊)、門尾の門尾神社(もと八幡宮 誉田別尊)、郡家の川井神社(もと龍神 彌都波能賣神、猿田彦命)を合祀。
 大正5年に國中村萬代寺の今島神社(もと荒神 素盞嗚尊)と池田の池田神社(もと弁天 市杵島姫尊、もと稲荷倉稲魂尊、もと龍神 罔象女尊)を合祀。
次いで大正6年に國中村久能寺の田中神社(もと荒神 素盞嗚尊)と土師百井の土師百井神社(もと荒神 素盞嗚尊)を合祀した。
天暦6年(952)の棟札が現存する。
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