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䖝井神社

神社名
䖝井神社
よみ
むしいじんじゃ
住所
智頭町大字大呂九67
祭神
須佐之男命 瀬織津姫命 速秋津比咩命 
天御中主命 大山祇命 宇賀魂命
祭祀
例祭10月28日
例祭に麒麟獅子舞と花籠の奉納がある。
旧社格
県社
各種指定
社叢 県天然記念物(昭和61年)
花籠祭り 県無形民俗芸能(平成2年)
獅子舞 県無形民俗芸能(平成10年)
その他
境内面積 10,135㎡
大呂集落より北上、県道6号線沿いに南面して鎮座。境内は幹周3.7mのスギをはじめとするスギの大木が多い。

由緒

『三代実録』巻44元慶7年(883)12月の条に「因幡国正六位上虫井神従五位下」と記されている国史現在社である。
当社の東は古くより虫井谷と呼ばれている。『因幡誌』は、往古、夷住山に三神が降臨したという伝承があることと、『伊福部氏系図』の中に「武牟口命と云あり。景行天皇御宇、日本武尊に従て稲葉夷住山に住める荒海を征伐せらるる時に、荒海里人都都良麻参り迎へて槻の弓八枝献じける」という趣意の記述があることなどから、当社の創立を景行天皇の御代としている。山形郷十六村の総氏神である。中古以来数度の兵火にあい廃朽を余儀なくされた。
嘉慶元年(1387)の棟札には「奉造立普光山三社妙見荒海三瀧」等の文字が記されている。永享12年(1440)大江美濃介師真によって六~七町下の字ハセツコウに移転再興された。正徳4年(1714)に社殿を改築。『因幡誌』(1795)の神社絵図には三社造りの社殿が描かれている。文化4年(1807)に社殿を改築。明治初年の絵図には三殿並立の姿が描かれている。近世まで妙見社(葦津の妙見さん)と称したが、明治初年に旧号の虫井神社と改称した。
明治2年5月大呂村字サコ田に鎮座折井神社(もと折井大明神 天之御中主尊)(『因幡誌』は虫井神三社の母神としている)を合祀。明治4年に郷社に列せられた。大正5年6月、芦津の芦津神社(もと荒神 素盞嗚尊外二神)、八河谷の八河神社(もと三宝荒神 素盞嗚尊 宇賀魂命)、西野の西野神社(もと牛頭天王 素盞嗚尊)を合祀。大正10年10月社地を山麓の現在地に移し、本殿・幣殿・拝殿を新築した。
なお旧社地は現社殿より140m程高い尾根に在り、安永9年(1780)の石製手水鉢が残っている。 昭和10年10月に昇格、県社に列せられた。
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