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河野神社

神社名
河野神社
よみ
こうのじんじゃ
住所
智頭町大字三吉476
祭神
須佐之男命 大已貴命 宇賀魂命 忍穂耳命 彦火火出見尊 火産霊命
祭祀
例祭10月10日
若一祭(旧暦4月8日)
花籠奉納
旧社格
村社
各種指定

その他
境内面積 1,970㎡
国道53号線沿い、集落東側の山麓、石段40段を上がった高台に西面して鎮座。

由緒

大正5年9月に、現社地に本殿、幣殿、拝殿を建立し、三吉字山田の村社廣嶺神社(須佐之男命外一神)、三吉字十日市の村社宮國神社(忍穂耳命)、三吉字大坪の村社檜神社(彦火火出見尊外二神)、慶所字宮ノ尾の村社聖神社(忍穂耳命)の四神社を移転合祀して河野神社を創立した。山田、大坪、十日市、駅前、慶所部落の氏神である。
旧廣嶺神社は寛文6年(1666)8月に播磨国廣嶺神社の分霊を勧請し牛頭天王と称した。旧宮国神社は寛文5年(1665)12月に紀伊国本宮熊野権現の分霊を勧請したと伝え、古くより若一王子権現と称した。旧檜神社は寛文5年(1665)11月に勧請。火災除けの神として祀られ檜大明神(火退大明神)と称した。旧聖神社は古くより聖大明神(聖御前)と称した。
美作国の伝承に、菅原道真より13代の末裔にあたる菅原朝臣三穂太郎満佐は天福2年(1234)に赤松久範と佐用の地に戦い討死。死後その亡骸の御本体は狼岩として鎮座し、頭は三穂明神、手足は右手明神と智頭の若一王子(河野明神)に奉られたと伝えられる。このため古くより肩や手足、腰の病に霊験あるとされ、崇敬者は岡山県、兵庫県にまでわたり、現在でも数多くの手形が奉納される。
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