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諏訪神社

神社名
諏訪神社
よみ
すわじんじゃ
住所
智頭町大字智頭227
祭神
建御名方神 木花咲耶姫命 宇賀魂命 素盞嗚尊 
伊弉冉尊 誉田別命 倉稲魂命 天忍穂耳命
天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命 
熊野久須毘命 多紀理毘賣命 市寸嶋比賣命
多岐都比賣命 宇賀魂神 大山祇神
祭祀
例祭4月27日(第3日曜)
秋祭(10月第3日曜)
旧社格
村社
各種指定

その他
境内面積 10,350㎡
智頭宿中央部の北東方、山腹に西面して鎮座。石階90段。
カエデの大木が多い中にケヤキやスギの大木も混じる。境内は紅葉の名所となっている。

由緒

創立年代不詳。口伝に弘安年中(1278~)信濃国諏訪大明神より勧請したと伝わる。古くより軍神及び鎮火の神として地方民に崇敬され、後醍醐天皇が隠岐より還幸の際は勅使の派遣祈願があったと伝わる。天正11年(1583)兵火により焼失したが、直ちに本殿を再建。慶長2年(1597)に草刈亀喜代が宮ノ山千八百坪を境内として寄進、本殿を再興。万治2年(1659)草刈重秋が本殿を建立。貞享5年(1688)以降、十数回藩主池田氏の為に祈願祭を執行。元禄13年(1700)及び正徳2年(1712)に本殿を改修。天明2年(1782)智頭大火があり、此の年から本社諏訪大明神の例にならい、本殿四隅に杉の巨柱四本を建立して御柱祭を始めた。文政年中(1820頃)藩主池田縫殿頭社参。天保3年(1832)11月に本殿を改築した。近世まで諏訪大明神と称していたが、明治初年に境内社稲荷大明神(宇賀魂神)と寺山の山神(大山祇命)を合祀し諏訪神社と改称した。明治37年1月に幣殿、拝殿、釣殿を改築。大正元年11月に宮坂谷の村社山崎神社(もと花社大明神、木花咲耶姫命外一神)を合祀、同5年5月に市瀬の村社岩鼻神社(伊弉冉尊外三神)、村社向山神社(天忍穂耳尊外七神)、上市場の村社上市場神社を合祀した。上市場神社は昭和24年に分祀。平成16年の台風により本殿が半壊したが、同18年に改修復元した。
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