神社名 | 土師神社 |
よみ | はじじんじゃ |
住所 | 智頭町大字埴師1242 |
祭神 | 國之常立命 豊雲野神 宇比地迩神 須比地迩神 角杙神 活杙神 意富斗能智神 大斗乃辯神 淤母陀琉神 阿夜訶志古泥神 伊邪那岐神 伊邪那美神 天照大御神 天忍穂耳神 日子番能迩迩藝命 日子穂穂手見命 鸕草葺不合命 宇賀魂命 大山祇命 譽田別尊 素盞嗚尊 玉依姫命 岐神 |
祭祀 | 例祭10月2日 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | |
その他 | 境内面積 1,986㎡ 集落の中ほど、土師小学校上手の山稜に北西に面して鎮座。スギの巨木、ケヤキ、シイの大木がある。 |
由緒
寛文4年(1664)紀伊国本宮熊野権現の分霊を勧請した。 長瀬、三明、川戸の三村の氏神であった。近世は十二社権現(十二所大明神)と称した。明治初年に境内の稲荷大明神(宇賀魂命)、後谷の山ノ神(大山祇命)、宮川の才ノ神(岐神)を合祀し波迩師神社と改称した。大正4年9月香傳寺の北谷神社(誉田別尊外二神)、下向の竹鼻神社(素盞嗚尊外一神)を合祀、次いで大正5年5月木原の村社木原神社 (玉依姫命外二神)、横田の村社勝手神社(彦火火出見尊外二神)の二社を合祀し土師神社と改称した。昭和30年に本殿拝殿を改築した。埴師、横田、木原の氏神である。
旧木原神社は宝永5年(1708)大和国吉野の御子守ノ神社(水分神社)より勧請、近世は子守大明神と称した。旧勝手神社は享保2年(1724)大和国吉野の勝手社(勝手神社)より勧請し、近世は勝手大明神と称した。