神社名 | 那岐神社 |
よみ | なぎじんじゃ |
住所 | 智頭町大字大背708 |
祭神 | 國常立神 豊雲野神 宇比地邇神 須比地邇神 角杙神 活杙神 意富斗能地神 大斗乃辯神 淤母陀琉神 阿夜訶志古泥神 伊邪那岐神 伊邪那美神 素盞嗚尊 大山津見神 天御中主神 保食神 宇賀魂命 進雄命 大山祇命 |
祭祀 | 例祭10月9日(10月第二土曜) 春祭4月20日 夏祭7月15日 冬祭11月23日 例祭に麒麟獅子舞・浦安の舞の奉納、八集落より花籠奉納、榊、子供相撲がある。正月に神楽獅子の奉納がある。 |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | |
その他 | 境内神社 稲荷神社(宇賀魂命) 北野神社(菅原道真) 境内面積 2,048㎡ 県道の北側、神社橋を渡った山裾に南面して鎮座。樹齢200~300年のスギ、ヒノキ、ケヤキ等がある。 文化年中(1804~18)作製の「神楽獅子頭」の宝物を収蔵する。 |
由緒
創立年代不詳。往古より那岐大明神と称し、那岐山頂に奉斎、山麓各村(後世の智頭町、奈義町)の崇敬を集めた。当初より伊邪那岐、伊耶那美2柱の神を奉斎したと伝わるが、主祭神(12柱)は熊野十二社権現の祭神17柱のうちの天神七代の神々である。中古、各村ともに凶作が続いたため、因幡、美作両国の山麓に分祀奉斎したところ霊験があったという。
始め宇塚地内に奉遷、後に大背地内(現社地)に奉遷したと伝わる。文禄2年(1593)の洪水で社殿等全て流失したが、寛文7年(1667)に再建したという。近世、那岐大明神は土師郷内十五ヶ村の総氏神として、崇敬者は近郷各村にわたり千数百戸に及んだ。
例祭には智頭郡奉行が参向し、参道(社前の橋と鳥居の間)で馬術の奉納があったという。参道の両側は藩主より献上の神領であった。
また、五月田集落の神楽尾、下馬所等は神社ゆかりの地名である。本殿床下の敷石に「施主 西宇塚村久本彦右衛門 寛保二年(1742)五月日通願」と刻まれている。現本殿は当時の建物に後年修築を加えたものと思われる。
明治2年那岐村内、河津原、西宇塚、東宇塚、大背、早瀬、真鹿野、野原、奥本に鎮座の山ノ神(大山祇命)二十柱を合祀。明治5年に那岐神社と改称した。
大正2年に、早瀬の早瀬神社(素盞嗚神)、城山神社(素盞嗚神)、竹内神社(素盞嗚神)、真鹿野の森岡神社(もと国志大明神 天御中主神)、同境内社荒御魂神社(素盞嗚神)、同上祖霊神(谷口家祖霊)、 野原の野谷神社(素盞嗚神)、河津原の尾崎神社(もと荒神 素盞嗚神)、東宇塚の東宇塚神社(素盞嗚神)、西宇塚の西宇塚神社(もと稲荷大明 神保食神)、奥本の栃本神社(もと荒神 素盞嗚神)、宇丹神社(もと山ノ神 大山津見命)、奥早野神社(もと若宮 素盞嗚神)、大背の奥谷神社(素盞嗚神)、水島神社(もと荒神 素盞嗚神)、口早野神社(素盞嗚神)の十六社を合祀した。同年、大屋の村社大屋神社(もと妙見大明神 素盞嗚尊外三神)を合併したが昭和22年に分離した。
大屋集落を除く旧那岐村全域が氏子区域である。