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大江神社

神社名
大江神社
よみ
おおえじんじゃ
住所
八頭町橋本735
祭神
大己貴命 天穂日命 三穂津姫命 少彦名命 稲背脛命 素盞嗚命 奇稲田姫命 武甕槌命 経津主命
伊弉諾命 月夜見命 大年命 香用姫神 大香山戸臣神 若経津主命 天津彦火々瓊々杵尊 木花開耶姫命
彦火火出見命 豊玉姫命 脚摩乳命 手摩乳命 田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命 猿田彦大神 豊岩窓神
櫛岩窓神 訓黒貝媛命 蛤貝媛命 國常立尊 天鏡命 伊弉冉尊 天御中主神 神産巣日神 倉稲魂神
高照光媛大神 五十猛神 大屋津姫命 抓津姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 事代主命 玉櫛姫命 大市姫命健御名方命 瀬織姫命 速開津姫命 葛木一言主命 八上姫命 木俣神御井神 沼河姫命 櫛八玉命
気吹戸主命 速佐須良比咩命 大山祇神 保食神 高御産巣日神 品陀和氣命 罔象女命 級長津彦命
菅原道眞命
祭祀
例祭4月29日
春祭3月26日
夏祭7月27日
秋祭12月9日
旧社格
郷社
各種指定

その他
境内面積 4,020㎡
集落西側の山麓に東面して鎮座。石階30段。神木はクスノキ(幹周4.6m)
境内林は広く、スギの造林中に多種類の大木も繁る。

由緒

創祀は未詳。『文徳実録』仁寿元年(851)10月の条に 「因幡国大江神授従五位下」とあり、『延喜式』神名帳(927)には 「因幡国八上郡大江神社三座」と所載。
その後、正一権現、また大江大明神とも称した。近世、鎮座地の村名を財原村といったことから財原大明神とも称した。
永万元年(1165)6月の『神祇官諸社年貢注文』 には因幡国として「上宮布五十段、轆轤師進、大江社布三十段進」とあり上宮(宇倍神社)に次いで大江社が因幡国二ノ宮とも言える位置をしめていたことが知られる。
天暦年中(1184~)因幡守大江広元が氏神として崇敬したといわれる。『因幡民談記』には嘉元3年(1305) 12月8日附の棟札(現存)を載せている。
それには「正一位権現造営 (宮)」とあり、また「大勧進地頭平宗泰宮司藤原泰継、大工中太夫、中原吉正」と見える。
同じく民談記に「応安三年(1370)一一月二七日上棟遷宮」との柱銘を掲げているが、それにはさらに惣領地頭重実、駿河太郎氏泰、右京亮重泰、財原能登守義親らが当所の平氏子孫の家門繁昌などのために当社造営に当たったことが記されている。
鎌倉期から南北朝期にかけて、当社は在地武士層の結集の場になっていたと思われる。近世に至り大江神社と複称した。元禄3年(1690)小泉友賢書「従五位下大江神社三座」の木簡が残る。享保3年(1718)と文政10年(1827)に社殿を建立した。
主祭神は、「大己貴命天穂日命三穂津姫命」であるが、明治初年に境内末社35社(祭神52柱)を合祀し、社号も大江神社に定まった。
明治22年に本殿を建立し、翌23年に幣殿拝殿を建立した。
大正5年に伊井田村水口の水口神社(高皇産霊神外四神)、大伊村下野の下野神社(高御産巣日神外三神)、坂田神社(素盞嗚尊)を合祀、翌6年に伊井田村殿の殿村神社(品陀和氣命外四神)を合祀し現在に至る。
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