神社名 | 和多理神社 |
よみ | わたりじんじゃ |
住所 | 八頭町郡家殿500 |
祭神 | 佐留陀毘古神 |
祭祀 | 例祭8月1日(7月最終土曜) |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | 社叢が町指定文化財(昭和51年) |
その他 | 境内神社 祖霊社(大御玉神社) 市谷神社(もと三宝荒神、市谷より奉遷) 殿神社 境内面積 1,544㎡ 郡家殿集落内の平地に南面して鎮座。ケヤキ(幹周4.4m)、スギ、イチョウ、イヌマ キ、タブノキ、ヒノキの大径木が林立する。 |
由緒
創立年代不詳。『延喜式』神名帳(917)「和多理神社」と記されている。
社伝によると大同2年(807)和多理の山(越山)より現社地に奉遷したとされ、後醍醐天皇が隠岐国より還幸の時、名和長年が供奉し当所に御駐輦、当時の神主大川重宗が勅を奉じて朝敵降伏の祈願をなし、名和氏より社領10町6段の寄進があったと伝わる。
西御門村の山中滝山の円入寺に行在された折、神主大川重宗に勅して諾冉2神を勧請して神廟を創建された時のも のと伝わる棟札が当社に現存し、「正慶二年(1333)五月尊治皇依勅願」とある。
天正8年(1580)7月羽柴秀吉当国に入攻、山名と会戦し、社殿その他悉く兵火により焼失、社領も没収された。
『和漢三才図会』(1713)には「和多理明神在八上郡社領三五石祭神猿田彦命景行天皇朝祭之」と記されている。宝暦3年(1753)10月社殿を造営(現社殿)。
近世大多羅大明神とも称されたが、明治初年に和多理神社と改称した。
境内の祖霊社は当社神主大川氏の祖、千日民部を祀り、延喜5年(905)の創立と伝わる。
境内社の殿神社は大正10年に殿の大谷瀧神社(速秋津姫命)、芦ヶ谷神社(須佐之男命)、越山神社(軻遇突知命)、大門の天満宮(菅原道眞)と西山神社(須佐之男命)の5神社を移転合祀したものである。