神社名 | 江美神社 |
よみ | えみじんじゃ |
住所 | 江府町大字江尾1894 |
祭神 | 天照國照彦天火明櫛玉饒速日命 伊弉諾命 素盞嗚命 廐戸豊聰耳命 稲背脛命 豊玉比咩命 猿田彦命 武御名方命 大己貴命 大山祇命 誉田別命 足仲彦命 息長足姫命 武内宿禰 金山彦命 稲田姫命 倉稲魂命 |
祭祀 | 例祭10月21日 春祭4月21日 夏祭7月21日 |
主要建物 | 本殿(流造1間4方) 幣殿 拝殿 手水舎 社務所 |
境内神社 | 金刀比羅神社 恵美須神社 |
境内 | 面積1088㎡ 集落の南方、小高い丘の上に西面して鎮座。境内は、御神木のケヤキ(幹周5m)をはじめケヤキの大木、スギで覆われている。 |
由緒
創立年代不詳。往古より当地方の産土神で近世まで王子権現と称した。天正元年(1573)社殿造営の古棟札に吉川駿河守元春の
名が残る。慶長6年(1601)米子城主中村氏の時、社領高6石。寛文7年(1667)藩主池田氏より社領高1石2斗7升2合。社地は江尾村の東北の山地で磐船山とも称された。明治元年に江尾社、同6年に江尾神社と改称した。大正4年に久連の代ノ神社(もと牛頭天王素盞江美神社嗚命)、鷺神社(もと鷺大明神稲背脛命)、村社久連神社(もと妙見宮、豊玉比咩命外4神)、小江尾の諏訪神社(もと諏訪大明神武御名方命外3神)、江尾の城上神社(もと八幡宮誉田別命外4神)、上段神社(もと牛頭天王素盞嗚命外2神)同境内社山口神社(もと金毘羅大権現素盞嗚命)を合併して現社地に奉遷し、江美神社と改称した。平成4年に諸社殿の増改築を行なった。江美、小江美、久連部落の氏神である。旧『神社誌』に記述があるとおり、社伝旧記に、天暦年間(947~957)当地豪族進氏が石上神宮の御分霊を天の磐船を模した神輿に奉安して勧請し磐船神社と称したこと、後年、厩戸豊聰耳命を合祭して王子権現と改称したこと、天文5年(1536)に領主蜂塚右衛門尉が本社を造営し、社領高63石5斗を寄進したことなども伝えられている。天の磐船に関する伝承は、祭神(饒速日命)の記紀神話における御事跡になぞらえたものと思われる。
名が残る。慶長6年(1601)米子城主中村氏の時、社領高6石。寛文7年(1667)藩主池田氏より社領高1石2斗7升2合。社地は江尾村の東北の山地で磐船山とも称された。明治元年に江尾社、同6年に江尾神社と改称した。大正4年に久連の代ノ神社(もと牛頭天王素盞江美神社嗚命)、鷺神社(もと鷺大明神稲背脛命)、村社久連神社(もと妙見宮、豊玉比咩命外4神)、小江尾の諏訪神社(もと諏訪大明神武御名方命外3神)、江尾の城上神社(もと八幡宮誉田別命外4神)、上段神社(もと牛頭天王素盞嗚命外2神)同境内社山口神社(もと金毘羅大権現素盞嗚命)を合併して現社地に奉遷し、江美神社と改称した。平成4年に諸社殿の増改築を行なった。江美、小江美、久連部落の氏神である。旧『神社誌』に記述があるとおり、社伝旧記に、天暦年間(947~957)当地豪族進氏が石上神宮の御分霊を天の磐船を模した神輿に奉安して勧請し磐船神社と称したこと、後年、厩戸豊聰耳命を合祭して王子権現と改称したこと、天文5年(1536)に領主蜂塚右衛門尉が本社を造営し、社領高63石5斗を寄進したことなども伝えられている。天の磐船に関する伝承は、祭神(饒速日命)の記紀神話における御事跡になぞらえたものと思われる。