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八幡神社

神社名
八幡神社
よみ
はちまんじんじゃ
住所
岩美町大字馬場105
祭神
誉田別命 気長足姫命 須佐之男命 武甕槌命
祭祀
例祭10月15日
春祭4月5日
旧社格
村社
各種指定

その他
境内面積 1,568㎡
集落の中ほど、東方の山麓に南面して鎮座。スギ、ムクノキ、タブノキ、ケヤキ等の大木がある。

由緒

往古、山城国男山八幡宮(石清水)を勧請し、近世まで八幡宮と称した。
『因幡誌』に「村の中東の山下にあり。祭神山城雄徳山の神霊を勧請せりと。蒲生上、下、法性寺、塩谷、八楽、山の神、馬場、以上七ヶ村の氏神とす。此辺の大社なり。昔祭日には流鏑馬(やぶさめ)等の興行ありしとかや。今、里を馬場と号するも其故といへり。―中略―山名家当国守護職の時、其幕下安藤采女正といふ武士此地を領しけるに因て氏神と仰ぎ信心浅からず、武具など奉納しけるとぞ。―後略―」と記されている。
『吾妻鑑』及び『石清水古文書』等に四條天皇の文暦2年(1235)7月20日、因幡国瀧房(倉田)と蒲生が石清水八幡宮の神領として寄付されたことが見える。
社記によると嵯峨天皇の文暦2年(810頃)に勧請とし、文化年中(1813頃)に1000年祭を 執行したとされる。「文久二年(1862)七月正八幡宮一〇五〇年記 御膳寄付」の棟札が現存する。
明治初年蒲生神社と称し、大正2年3月、相山の相山神社(もと荒神社 須佐之男命)、蒲生の八樂神社(須佐之男命)と塩谷神社(もと住吉明神 武甕槌命)を合祀し、同年5月に八幡神社と改称した。 
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