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甘露神社

神社名
甘露神社
よみ
かんろじんじゃ
住所
岩美町大字陸上57
祭神
大山祇命 啼澤女命
祭祀
例祭旧9月9日(10月第二日曜日)
春季例祭1月第二日曜日
春祭には御祷祭がある。
秋の例祭に御榊が巡回し子供が 踊りを披露。麒麟獅子舞と浦安の舞の奉納がある。
旧社格
村社
各種指定
社叢(シダ類の群生)が岩美町文化財(平成4年)
その他
境内面積 約2,000㎡
集落の西南方、山腹に北面して鎮座。 石段130段。暖地性シダ類が群生している。

由緒

『延喜式』神明帳(927)に「甘露神社」とあり、以降社名は一貫している。
『因幡誌』に「氏神甘露神社(祭日正月一五日―略―)同蔵王権現(祭日九月九日)―略―二神同社(甘露神社)に鎮祭せり蔵王権現(山の方)甘露神社(海の方)」とあり、祭神について「社伝」からの引用として、啼澤女命(甘露神)は初めは東陸上の甘露谷にあったが、中古、海賊により村民が離散したため、西陸上の氏神蔵王権現(大山祇命)と二神を現社地に奉遷したとしている。
また、社号は『日本文徳天皇実録』仁寿2年(852)5月の条「是月。甘露降―中略―因幡―中 略―九國並言」の記事が由来といわれている。
明治初年に蔵王権現の社号は廃した。社伝に、「文徳天皇の御宇仁寿二年(852)壬申、御不例に座すや春日大明神より御神夢御告ありて、因幡国巨濃郡陸上村の産土神を御尋ね為さるること有り。勅使を降したまひ御吟味なりけるに、氏神山の峰に大岩あり(是を隈岩と伝ふ)此の岩の左右に笹あり、この笹に「甘露」溜り居れり。勅使是を採り持ち帰り、帝に献ぜしに忽ち御平癒あらせらる。依りて社号を甘露神社と改称遊ばされ御帰依として御供料五十石給へり。」とある。 
文安三年(1446)の「奉造立蔵王権現」の棟札が現存する。 
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