神社名 | 聖神社 |
よみ | ひじりじんじゃ |
住所 | 日野町黒坂1796 |
祭神 | 大國魂命 大日貴命 市杵島姫命 猿田彦命 経津主命 武甕槌命 |
祭祀 | 例祭11月3日 例祭に神幸祭があり、藤森神社の神輿と合同で御旅所祭を斎行する。 |
旧社格 | 郷社 |
各種指定 | 社叢が県天然記念物(昭和57年) |
その他 | 主要建物 本殿(大社造変形6尺7寸×8尺2寸明治32年建立) 幣殿 拝殿 神楽所 随神門 神輿庫 境内面積 8,596㎡ 黒坂の南西方、丘陵上に東面して鎮座。境内は石階130段、ケヤキの巨木に、スダジイ、シラカシ、ウラジロガシ、ヒノキ、コウヤマキ、ヤブツバキなどが植生する。 |
由緒
創立年代は不詳であるが、社伝によると大同2年(807) に郷士高里新左衛門、井上勘右衛門両名が古市村榎村の西方日守山(現 在の黒坂宮山)に社殿を造営し、出雲大社の神を鎮祭したといわれる。 近世まで聖権現と称した。歴代国司、尼子氏、毛利氏の崇敬篤く、慶長 年中(1610頃)関長門守が黒坂在城の際は神領等の寄進があり、祭 祀も厳修された。寛文7年(1667)の社領高は1石2斗。安政5年(1,858)池田氏の臣福田丹波守が黒坂在館の当時も城内の氏神とし て崇敬、毎月の祈祷料として8斗5升2合の奉納があったという。明治 元年に伊勢宮を合祀し聖社と改称、同6年に聖神社と改称した。明治32年に社殿を造営。大正4年に小河内の村社嚴島神社(もと嚴島大明神 市杵島姫命猿田彦命)と下黒坂の村社神田神社(もと八幡宮)を合 併した。神田神社は昭和23年に分離した。