神社名 | 金持神社 |
よみ | かもちじんじゃ |
住所 | 日野町金持74 |
祭神 | 八束水臣津奴命 天常立命 意美豆努命 天香語山命 |
祭祀 | 例祭10月25日 春祭4月25日 夏祭7月25日 |
旧社格 | 村社 |
各種指定 | 「チャンチン」(センダン科)「サワラ」(ヒノキ科)が県の 銘木100選に選定(平成10年) |
その他 | 主要建物 本殿(大社造変形1間4方) 幣殿 拝殿 参集所 祭器庫 境内面積 2,447㎡ 集落南方の山の中腹に北面して鎮座。石段約80段。御神木のチャンチン(樹齢200年幹周3m…県内唯一)、サワラ(幹周3.6m)をはじめゴヨウノマツの大木、スギなどで社叢を形成。 |
由緒
創立年代不詳。往古より金持村の産土神で三体妙見宮と称し た。出雲国薗妙見社より勧請したと伝えられる。寛文7年(1667) の社領高は5斗5升4合。寛文9年以降の棟札が残る。明治元年に金持 社、同6年に金持神社と改称した。大正4年に村内の野々尾神社(天香 語山命)を合併した。金持部落の氏神である。 当社の言い伝えによると中古、薗妙見大神宮の神官の二男が妙見宮の 玉石を守護として伊勢参宮の旅に上ったが、当地にて玉石が俄に重くな り止むなくこの地に置いて旅立った。梅林吉郎左衛門が神夢により社宇 を建立してこの玉石を奉斎したのが当社の始まりという。なお、元弘の 当時船上山の勤王軍に加わり、帝に従って上京した金持大和守景藤は当地の豪族であったと言われる。 近年、社名を尊んで全国から参拝する者が急増した。