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湊神社

神社名
湊神社
よみ
みなとじんじゃ
住所
湯梨浜町大字橋津287
祭神
速秋津彦命 速秋津姫命 菅原道眞命
祭祀
例祭10月19日(第2日曜)神幸祭に神輿が海に入る
旧社格
旧河村郡旧郷社
各種指定
祭礼行事が町無形文化財 (平成19年)
その他
社紋 亀甲に五七の桐
主要建物 本殿(流造6尺6寸×5尺4寸寛政3年(1791)建立大正4年改修) 幣殿 拝殿 随神門 参籠所 神輿庫
境内神社 摂社 龍神宮(祭神少童命)
境内面積 3,441㎡
橋津地区の中央北よりの高台に東南に面して鎮座。石階70段。  

由緒

『三代實録』には、貞観9年(867)4月の条に「伯耆国 正六位上湊神従五位下」と記される国史現在社である。
上代の社地は花見荘羽合郷湊浦色見山であったが、貞応2年(1223)に大宮の地に遷座と伝わる。
『伯耆国河村郡東郷荘 絵図』(正嘉2年(1258))には、現在とほぼ同所に「大湊宮」とあり社殿が描かれている。
『神祇宝典』(1646)巻七諸国神叙位の条に、「伯耆国式外湊神社水戸ノ神速秋津彦神也―以下略」とある。
武将の崇敬が篤く、天文年中(1532~55)尼子晴久は社領百50石を寄進し、吉川元春は社殿を造営して神領50石を寄進している。
池田光仲以後も社領50石とし因伯大守祈願所とされていた。
天明6年(1786)に橋津に大火があり、神社も焼失したので上段(現在地)に移遷した。寛政3年(1791)本殿を建立した。
近世は湊大明神と称されたが、明治初年末社天満宮を合併して湊神社と改称し、郷内総氏神と定められた。
大正3年2月に大字赤池字墓迫りの村社赤池神社(もと荒神素戔嗚命)、大字橋津字見込谷の岩伏神社(もと三宝荒神幸神稲荷大明神倉稲魂命)を合併した。橋津、上橋津、赤池地区の氏神である。
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