神社名 | 國主神社 |
よみ | くにぬしじんじゃ |
住所 | 湯梨浜町大字北福306 |
祭神 | 大國主命 少彦名命 事代主命 天照皇大神 須佐之男命 新宮神 伊邪那美命 |
祭祀 | 例祭4月20日 |
旧社格 | 旧河村郡旧村社 |
各種指定 | 社叢が町指定天然記念物(昭和61年) |
その他 | 社 紋 亀甲に大の字 主要建物 本殿(入母屋造千鳥破風付向拝唐破風付7尺1寸×6尺3寸 明治13年建立) 幣殿 拝殿 神輿庫 手水舎 境 内 面積1,824㎡漆原集落の北寄りに南面して鎮座。ケヤ キ、ムクノキ(幹周四・七m)、エノキ、ムクロジ、 タブノキ等の大木がある。 |
由緒
創立年代不詳であるが、口伝によると葛下庄筒地に、当地開 拓の昔、大國主命の霊験があったので祭神として奉斎したと伝えられる。
大永年中(1521~28)尼子氏の為に兵火にあい旧記、神宝を失う が、後に藩主より再興を命じられ、1石2升の神饌を下賜されている。 それ以来、年4度(3月3日・5月5日・9月29日・11月8日)祭典を執行、武運長久の祈願をしていた。(祈願神札を藩主に上る古例がある。)
しかしながら北福村は八重垣、外垣、内垣等の小字を有し、上代の旧跡を残す由緒ある地であるとして、寛永16年(1639)漆原村助右門、大成の五左衛門、原村七左衛門の3名を本願とし、舎人の庄北方村字宮越(現社地)に奉遷した。
近世まで国主大明神と称したが、明治初年に北方神社と改称。明治30年に國主神社と改称した。大正2年舎人村漆原の 新宮神社(もと新宮大明神伊邪那美 命)と方地の小林神社(もと伊勢宮 天照皇大神)を合併。
大正3年9月野方の村社野方神社(もと三宝荒神須佐之男命)と白石の村社白石神社(も と松尾大明神須佐之男命)を合併した。野方区、白石区、方地区、漆 原区、北福区の氏神である 。